能楽を旅するコラム | 能楽を旅する – Journey through Nohgaku –

佐渡に現存する35箇所能舞台の解説

作成者: 能楽太郎|2024年4月14日(日)

佐渡島にはかつて200以上の能舞台があり、五穀農穣を願って鎮守様への奉納能が舞われてきました。

現在も島内には35の能舞台が現存します。8箇所が新潟県の有形民俗文化財、6箇所が佐渡市の有形民俗文化財、2箇所が佐渡市の有形文化財(建造物)に指定され、全体の約3割が現役の舞台として活躍しています。
島内に残る35箇所のすべての能舞台を4つのエリアに分けて紹介します。

 

はじめに 佐渡能楽と能舞台の特徴

佐渡はなぜ能楽が栄えた?

佐渡島は、室町時代に能を大成した世阿弥が流された島として知られていますが、実際に能楽が広まったのは江戸時代です。金銀の資源に恵まれた佐渡島は幕府の天領となり、初代佐渡奉行の大久保長安が各地の神社に能を奉納し、武士だけでなく庶民にも広く能を開放しました。
佐渡には狂言の一つの流派である「鷺 (さぎ)流狂言」が伝わりました。鷺流狂言は徳川家康のお抱え狂言師であった鷺仁衛門宗玄が創設した流派です。江戸時代後期に宗家のもとで修行をした島出身の狂言師が佐渡の大膳神社で演じたことをはじまりとして島内に広まりました。
現在の佐渡では、能や鷺流狂言の保存団体によって定例能や神事能が行われています。

佐渡の能舞台の特徴

佐渡の能舞台の大きな特徴は、ほとんどが神社の境内に建てられていることです。そのため、野外での演能となります。多くは夏場の夜間に能舞台の周囲にかがり火を焚いて上演される薪能(たきぎのう)で幻想的な空間の中で演じられます。

そのほか、次のような特徴が見られます。

  • 能舞台の正面または脇正面が、社殿(神社建造物)に向けた形で配置されていることが多い。
  • 本舞台のサイズが標準の3間(約6m)四方より小さいものが多い。
  • 舞台右側の地謡が座る「地謡座」を設けていないものが多い。
    • 演能時には仮設をしたり舞台の一部を利用するタイプが見られる。
  • 橋掛りを設けていない舞台が見られる。
    • 橋掛りを常設している舞台では、板や幕を張って前通路と後通路に仕切って複式の橋掛りとし、前通路を舞台の一部として使われている場合が見られる。

両津エリアの能舞台

両津エリアは、島の北から東を占める地区で、佐渡の玄関口となる両津港佐渡汽船ターミナルがあります。船から降りるとすぐに新潟県最大の湖「加茂湖」が見え、海岸線を北に走れば「大野亀」「二ツ亀」などの景勝地にアクセスできる、景観スポットの宝庫です。

  • 江戸初期の奉行所から能大夫を任命された本間家が所有する「本間家能舞台」は佐渡の玄関口、両津エリアを代表する能舞台です。
    本間家は宝生座を開設して神社に能を奉納し、佐渡能楽の中心として活動を続けてきました。現在の舞台は明治18年(1885)に再建されたものです。瓦葺き寄棟造りで約5.6m四方の本舞台と後座からなり、地謡座、橋掛り、裏通路、鏡の間に舞台天井には「道成寺」を演じる際に鐘を吊る鐘穴まで備えています。床下には音響効果のための甕(かめ)が二つ埋められるなど、現存する能舞台の中でもっとも本格的な構造を持つと評されています。毎年7月最終日曜日には「本間家定例能」が開催されています。
  • 現在の佐渡で演能回数がもっとも多い舞台が「椎崎諏訪神社能舞台」で毎年8月を除く5~10月の第一土曜日に幻想的な薪能が演じられています。
    加茂湖を見下ろす高台に建つ能舞台は、明治35年(1902)に建築されました。瓦葺き切妻造りで約5.5m四方の本舞台と後座からなり、地謡座、橋掛り、鏡の間を備え、舞台天井には鐘穴もあります。
  • 熱串彦(あつくしひこ)神社能舞台」は、数少ない明治期以前の建築と推測される貴重な能舞台です。
    集落では安永年間(1764~1780)頃の創建と伝えられています。加茂湖に通ずる長江川 南側の広い水田地帯に建っています。趣のある藁葺き屋根で約5.5m四方の本舞台と後座からなり、奥行き約1.5mの短い橋掛りが鏡の間につながります。鏡の間には囲炉裏が設けられています。舞台脇正面を社殿に向けた配置、仮設の地謡座など佐渡の能舞台らしい特徴を備えています。
  • 加茂湖西岸の潟端地域にある「諏訪神社能舞台」は佐渡の能舞台らしく、社殿に向かって左側にあり、正面を社殿に向けた形で配置されています。
    大正13年(1924)に建築されたもので、瓦葺き寄棟造りで約5.5m四方の本舞台と後座からなり、天井には鐘穴が設けられています。常設の地謡座と鏡の間があり、複式の橋掛りは同じ床高の裏通路が付属しています。

両津エリアのその他の能舞台

相川エリアの能舞台

島の東側に位置する相川エリアは、江戸時代、金銀の大鉱脈が発見されると、各地から移り住んだ人で賑わい、鉱山町として栄華を極めました。時代を経た現在でも、レンガ塀の通りや時鐘楼など趣ある景観が数多く残されており歴史情緒を堪能できます。

  • 相川エリアに現存する唯一の能舞台が、佐渡に能楽を広めた初代佐渡奉行の大久保長安により建てられた「春日神社能舞台」です。
    慶長10年(1605)に神社が相川春日崎に建てられ、元和5年(1619)に現在の場所である相川下戸村に移されました。その後、正保2年(1645)に能舞台が建てられ、佐渡で初めて神事能が奉納されました。ここから島内各地に能が広がったことから、春日神社は佐渡における能の発祥地と言われています。現在の舞台は、平成18年(2006)に南佐渡エリアの羽茂滝村にある諏訪神社から移築されたもので、春日神社建立400年を機に地元住民の熱意により実現しました。現在は、年数回の幻想的な薪能をはじめ、地域活性化に役立つ様々な催しが行われています。

国中エリアの能舞台

国中エリアは、島の中央に広がる田園地帯の平野で、中世には遠流の島と定められ、世阿弥や日蓮聖人などが流されてきました。このような歴史背景から周辺には神社仏閣が多く点在しています。
永享6年(1434)に流されてきた世阿弥が佐渡の国の津(港)に流れ着いてから配所にいたるまでの「世阿弥の歩いた道」もあります。
当エリアには、佐渡の宝生流太夫家である本間家が佐渡に能楽を広めるための重要な拠点として演能が盛んに行われてきた由緒ある能舞台「国仲四所の御能場」が3箇所現存しています。
なお、佐和田地区に市の有形文化財にも指定されていた「二宮神社能舞台」がありましたが、残念ながら2023年8月に火事で全焼。2024年7月に社殿が再建され、その記念能が同年8月に金井能楽堂で催されました。今後は能舞台の再建も期待されます。

  • 佐渡に現存する最古の能舞台は当エリアの大膳(だいぜん)神社能舞台」です。
    現在の舞台は弘化2年(1846)に再建されたもので、「国仲四所の御能場」のひとつでもある由緒ある能舞台です。社殿に向かって左側に、正面を社殿に向けて配置された能舞台は茅葺き寄棟造りで間口5.5m、奥行4.4mの本舞台と後座からなります。竹の欄干が設けられた地謡座、橋掛り、裏通路、鏡の間があり、後から増築された裏楽屋も備えています。老松に日輪が描かれた鏡板はここでしか見られない貴重なものです。毎年4月18日の例祭では奉納能、6月の薪能では鷺流狂言が上演されています。
  • 牛尾神社能舞台」も「国仲四所の御能場」のひとつとなります。
    現在の能舞台は、前出の本間家能舞台を手本にして明治34年(1901)に再建されました。約5.5m四方の本舞台と後座からなり、屋根は瓦葺きで正面が入母屋造り、背面が寄棟造りで、4本の梁には唐草模様の装飾が施され、天井には鐘穴があります。また、地謡座、橋掛り、裏通路、社務所兼用の鏡の間を備える、格式と重厚感を感じさせる本格的な造りです。床高・開口高・橋掛りの長さとも佐渡の能舞台としては最大で、全体の構えも堂々としています。演能の歴史は中世までさかのぼると推測され、室町期の能面「翁面」「三番叟面」(県の有形文化財)が社宝として保管されています。毎年6月12日には例祭宵宮薪能が演じられています。
  • 同じく「国仲四所の御能場」のひとつ、旧畑野町に唯一残る能舞台が「加茂神社能舞台」です。
    神社自体は天仁2年(1109)の源義綱(加茂次郎)の佐渡配流時に創建され、元禄7年(1694)に再建されました。能舞台は神社裏手にあり、本舞台と後座からなり、地謡座、橋掛り、鏡の間を備えています。毎年8月、地元の畑野能楽クラブ「一葉会」主催による夜能が開催されます。
  • 羽黒神社能舞台」は佐渡に現存する能舞台の中でもっとも小さい能舞台とされています。
    茅葺き寄棟造りの本舞台は間口4.5m、奥行3.6mとミニサイズです。杉の巨木に囲まれた境内に建ち、社殿に至る石段の手前、参道に正面を向けて配置されています。江戸末期の建築と伝えられ、以前は社殿と向き合う形で参道上にありましたが、明治42年(1909)に現在地に移築され、橋掛りと社務所兼楽屋が増築されました。神事能は一時途切れていましたが、近年再開され、現在も毎年8月最後の土曜日に薪能が行われています。
  • 屋根が瓦葺き、正面は入母屋造り、背面は切妻造りで約5.5m四方の本舞台と後座からなり、地謡座、橋掛り、拝殿と兼用の鏡の間を備えた、本格的な造りをしているのが「熊野神社能舞台」です。
    現在の舞台は、明治2年(1869)に建築されたもので、 鏡板には松と竹の絵が描かれ、舞台天井には鐘穴もあります。また、梁の上には、舞台の古い呼称である「加具楽殿」の4文字が1字ずつ彫られた4面の蟇股(かえるまた=装飾材)が見られるのが特徴です。2013年までは毎年6月に薪能が上演されていましたが、現在は行われていません。
  • 佐和田地区唯一の能舞台となった「八幡若宮神社能舞台」は幕末から明治初年頃に建てられたとされています。
    現在、 瓦葺き寄棟造りで約5.4m四方の本舞台と後座からなり、地謡座と天井に鐘穴を備えていますが、橋掛りはありません。昭和初期まで毎年4月3日の祭礼に定例能が行われてきましたが、現在は行われていません。
  • 毎年4月14日の例祭宵宮で鷺流狂言が奉納されているのが「總社(そうじゃ)神社能舞台」。明治中期頃の建築と推定される能舞台は、瓦葺き切妻造りで間口約5.7m、奥行き約4.5mの本舞台と後座からなり、鏡板には松が描かれています。また、舞台南側には奥行き約3mの橋掛りが延び、鏡の間につながっています。舞台脇正面を社殿に向けた舞台配置や、地謡座を仮設とする、佐渡らしい能舞台と言えます。
  • 豊田諏訪神社能舞台」はもともとは舞殿として大正11年(1922)に建てられ、能を含む多目的舞台として使用されてきました。
    昭和59年(1984)に現在の能舞台に改修されました。瓦葺きの屋根は正面が入母屋造り、背面が切妻造りで間口約5.5m、奥行4.6mの本舞台と後座からなり、地謡座と裏楽屋を備えています。昭和期の改修で舞台天井の鐘穴や、奥行き約3mの橋掛りなどが設けられました。佐渡の能舞台らしく、舞台脇正面を社殿に向けて配置されています。
  • 上の豊田諏訪神社能舞台に似て、旧拝殿を改造・移築して明治35年(1902)に建てられたのが「椿尾氣比(つばきおけひ)神社能舞台」です。
    以前は拝殿で演能が行われていましたが、地元の能愛好者たちの熱意により能舞台として生まれ変わりました。昭和62年(1987)には床板・壁板が新調され、その後に、舞台背面に鏡の間も設けられました。平成22年(2012)頃にも、傷みが激しく朽ちる可能性が出たことから修復が行われました。茅葺き寄棟造りで約5.4m四方の本舞台と後座からなり、裏楽屋を備え、社殿と舞台をつなぐ仮設の橋掛りがあるのが特徴です。
  • 昭和62年(1987)、世阿弥の配所の地である金井地区に新しく建てられたのが「金井能楽堂」です。
    屋内にある能舞台は6m四方の檜舞台で、10m前後の橋掛り、老松が描かれた鏡板があります。佐渡では貴重な天候に左右されない屋内能舞台であることから、年間を通して演能をはじめ、様々な催しに使用されてます。旧金井町名誉町民・堀治部夫妻の旧宅跡に建ち、夫妻のふるさとへの多大な貢献を顕彰して銅像が建てられています。

国中エリアのその他の能舞台

南佐渡エリアの能舞台

島の南端に位置し、港町として栄えてきた南佐渡エリア。古い町並み散策が楽しめる宿根木や、たらい舟体験ができる小木海岸など、北前船で栄えた歴史と文化が色濃く残っています。古い火山活動によって形成された独特な海岸線の景観も大きな魅力です。
南佐渡エリアにおける能楽は、明治初期頃から羽茂(はも)地区を中心に広がりを見せ、演能がさかんに行われました。

  • 南佐渡エリアを代表する能舞台が「草苅神社能舞台」です。
    能舞台は社殿が建つ高台下の広場にあり、水田を背景として正面を社殿に向けて配置されています。現在の舞台は明治初期以前の建築と推定され、茅葺きの屋根は正面が入母屋造り、背面が寄棟造りで間口約5.5m、奥行き約4.2mの本舞台と後座からなり、天井には鐘穴があり、鏡板には松が描かれています。以前は舞台のみで橋掛りが失われていましたが、近年の修復によって復元され、地謡座、鏡の間、裏通路、裏楽屋が増設されました。
    古くは文久3年(1863)の演能記録があり、現在も毎年6月15日の羽茂祭りと9月7日の乙祭りで薪能が奉納されています。
  • 羽茂小泊地区には「小泊白山神社能舞台」があります。
    羽茂小泊地区は隣接する国中エリアの真野地区椿尾とともに石工で栄えた地で、その経済力を背景に演能が盛んに行われていました。
    明治期に変わる頃に建てられたとされる能舞台は、平成22年(2012)に修復工事が行われ、茅葺き屋根から銅板屋根に張り替えられました。
    約5.4m四方の本舞台と後座に地謡座もあり、地謡座の右奥に貴人口(きじんぐち=身分の高い人が立ったまま舞台に出入りできるように設けられた片開き戸)が見られるのが特徴です。背面の鏡板には松、東側には竹が描かれ、天井には鐘穴もあります。舞台から奥行き約2mの橋掛りが鏡の間に延び、鏡の間は拝殿に接しています。毎年11月の第二日曜日に薪能が開催されています。
  • 佐渡の能舞台の中で地面から舞台床面までの高さがいちばんある、とされているのが「大崎白山神社能舞台」です。
    現在の能舞台は明治初年に建てられたと伝えられ、茅葺き寄棟造りで間口約5.4m、奥行き約4.3mの本舞台と後座からなり、天井には鐘穴も備え、鏡板には松と竹が描かれています。舞台からは奥行き約2.5mの橋掛りが延び、鏡の間につながっています。
    古くは文久3年(1863)の演能記録が残っており、多いときには境内が観客で埋まるほど、大盛況だったと伝えられます。
  • 赤泊地区には「春日神社能舞台」があります。
    主要木材に赤泊特産のカヤ材が使用されている点などから、南佐渡エリアで稀にみる名舞台と評されています。建立年代は明治初期、地域の有志が敷地を寄付し、材料を持ち寄ったと言われています。
    銅板葺き寄棟造りで約5.5m四方の本舞台と後座からなり、橋掛りは組立式になっています。

南佐渡エリアのその他の能舞台

島のどこかで能楽と出会う旅

佐渡には、上記に紹介した35能舞台のほかにも演能が行われている場所があります。
佐渡に流された世阿弥が滞在したことで有名な「正法寺(しょうぼうじ)」や、「正中の変」で佐渡配流となった日野資朝の墓がある「妙宣寺」では寺の本堂を舞台に見立てて定例能が行われています。また、神社の拝殿を能舞台として兼用して舞われています。

以上の特別な演能場所も含め、佐渡の各地の能舞台では毎年4月から10月まで島の人々によって多くの能楽が演じられます。
「能月間」として知られる6月は毎週、島のどこかで能楽と出会えます。今回の記事を参考に、佐渡の能舞台を訪ねて、能楽を楽しんでみませんか?

本記事で紹介した 35能舞台一覧

  • 文化財の種別は、県指定=新潟県指定有形民俗文化財、市指定有民=佐渡市指定有形民俗文化財、市指定建造物=佐渡市指定有形文化財建造物

両津エリア

名称 所在地 文化財の種別 現在の演能状況
本間家能舞台 吾潟 県指定 毎年7月最終日曜日に定例能
諏訪神社能舞台 潟端 県指定 毎夏、大学生が能楽合宿等に使用
金峰神社能舞台 上横山 - -
熱串彦神社能舞台 長江 市指定有民 -
堀内神社能舞台 加茂歌代 - -
椎崎諏訪神社能舞台 原黒 県指定 毎年5〜10月(8月除く)上旬の土曜日に薪能
住吉神社能舞台 住吉 - -
椎泊神社能舞台 椎泊 - -

相川エリア

名称 所在地 文化財の種別 現在の演能状況
春日神社能舞台 相川下戸村 - 年数回の薪能をはじめ、様々な催し開催

国中エリア

名称 所在地 文化財の種別 現在の演能状況
佐和田地区      
八幡若宮神社能舞台 下長木 市指定建造物 -
金井地区      
羽黒神社能舞台 安養寺 県指定 毎年8月最終土曜日に薪能
金井能楽堂 中興 - 年間を通して演能や様々な催し開催
新穂(にいぼ)地区      
牛尾神社能舞台 新穂潟上 県指定 毎年6月12日に例祭宵宮薪能
熊野神社能舞台 新穂武井 県指定 -
畑野地区      
加茂神社能舞台 栗野江 - 毎年8月に夜能
真野地区      
大膳神社能舞台 竹田 県指定 毎年4月18日の祭礼で奉納能、毎年6月に能と鷺流狂言を上演
總社神社能舞台 吉岡 市指定有民 毎年4月14日の例祭宵宮で鷺流狂言を奉納
八幡若宮神社能舞台 四日町 - -
豊田諏訪神社能舞台 豊田 市指定有民 -
塩竈神社能舞台 滝脇 - -
八幡神社能舞台 背合 - -
白山神社能舞台 大倉谷 - -
小布勢神社能舞台 西三川 - -
椿尾氣比神社能舞台 椿尾 市指定有民 地域のイベント時に使用
熊野神社能舞台 静平 - -
大山祗神社能舞台 西三川 - -

南佐渡エリア

名称 所在地 文化財の種別 現在の演能状況
羽茂地区      
小泊白山神社能舞台 羽茂小泊 市指定有民 毎年11月の第二日曜に薪能
氣比神社能舞台 羽茂上山田 - -
草苅神社能舞台 羽茂本郷 県指定 6月15日の羽茂祭りと9月7日の乙祭りで奉納能
張弓神社能舞台 羽茂大橋 - 地域のイベント時に使用
大崎白山神社能舞台 羽茂大崎 市指定有民 大学生の能楽合宿時に使用
白山神社能舞台 羽茂滝平 - -
赤泊地区      
白山神社能舞台 上川茂 - -
徳和神社能舞台 徳和 - -
春日神社能舞台 三川 市指定建造物 -