京都は能楽堂が数多くあり、プロの能楽師による公演が定期的に催されています。今回は京都に焦点をあて、各能楽堂の魅力に迫ります。京都は京都御苑を中心として能楽堂が点在しています。本記事では、主に徒歩にて順番に各能楽堂を周回していきました。
京都観世会館

大江能楽堂より三条方面へ鴨川を渡り、仁王門通りを進むと京都観世会館があります。
最寄り駅は東山駅です。戦前からあった京都観世会の能舞台が終戦目前に強制疎開の憂き目にあって閉鎖されましたが、1958年に京都市内の文化芸術ゾーンである岡崎に建てられました。
京都を拠点とする観世流シテ方能楽師の本拠地として、多くの自主公演・各家の定期能・個人主催公演・狂言会・素人発表会などを開催しています。
京都観世会館の最寄り駅は東山駅です。脇を流れる白川沿いは大変すてきな路地でした。平安期には白河院御所などが流域にあったそうです。


大江能楽堂

次に訪れるのは大江能楽堂です。最寄り駅は京都市役所前駅・烏丸御池駅となり、京都の路地(押小路通り)にあります。
大江能楽堂は、能楽観世流大江家5世又三郎(後に竹雪)が1908(明治41年)に創建し、大正8年に現在の規模に改築したものです。表通り(押小路通り)に面しては、二階建ての武者窓のある楽屋、住居部分がありましたが、先の大戦中強制疎開にて取り壊されました。しかし、舞台・見所部分の取り壊しは終戦の日にあたり、幸運にも昔の姿そのままに残存することができました。その後、改修を重ねながらも老朽化が激しく、2001年(平成13年)明治の面影をそのまま残す形で基礎部分の大改修をいたしました。その後、令和3年7月より大規模な舞台板改修工事が行われます。基礎部分は全て補強が施され、旧舞台板は研磨し再利用、舞台後座へと敷かれました。柱や欄干などの舞台骨格はそのままの形で残し、舞台板は新たに用意した吉野檜の一枚板で全面改修。時代の移ろいが見事に調和した舞台へと生まれ変わりました。1・2階席桟敷席(1部椅子席)の収容人員数は約400名。自然光の入る貴重な能楽堂です。

全国に数多くの能舞台がありますが、当能楽堂の鏡板の松は梢もなく株もありません。これは、作者の国井応陽画伯が当能楽堂を創建した、大江竹雪(大江家五代目当主)に、「どうか存分に根をはり、枝を伸ばし葉を茂らせ、力強く発展してくださるようご精進ください。」というメッセージをこめて描いてくださったからです。古い能楽堂に生き生きとした気分が漂うのはこの松のおかげかもしれません。
大江能楽堂では年4回「大江定期能」を催しています。是非お越しください。
冬青庵能舞台
大江能楽堂から烏丸通りに抜けて少し歩くと、冬青庵能舞台があります。
冬青庵能舞台は、観世流能楽師、青木家の自宅の一部を用いた能舞台です。全100席ほどの小規模な舞台で、間近で能を見られる貴重な舞台です。
能楽公演も定期的に企画されていて、能楽公演以外にも講演などにも利用されています。


嘉祥閣

嘉祥閣は、観世流井上家および師事する一門によって形成されている一般財団法人 能楽堂嘉祥閣が維持している能楽堂です。昭和36年に竣工されました。現在は稽古などで利用されています。
最寄り駅は丸太町駅。冬青庵能舞台からかなり近い距離にあります。

金剛能楽堂

能楽シテ方五流の中で唯一、宗家が京都に在住する金剛流の能楽堂です。京都の歴史と文化の中心である京都御苑に面しています。交通機関としては京都地下鉄烏丸線 今出川駅が最寄りで、駅を出て烏丸通沿いに南に徒歩4、5分ほどに位置します。嘉祥閣からは烏丸通りを北上してたどり着きました。
金剛能楽堂は金剛流 京都能楽紀行「歌会と宮廷文化」公演レポートでも取り上げております。こちらも合わせてご覧ください。


河村能舞台

最後は河村能舞台です。烏丸通をさらに北上し、同志社大学今出川キャンパスを越えたらまもなくです。外観は普通の住宅でありながら、内部には350人収容可能な本格的能舞台です。能を見たことがない人や修学旅行生など若い世代に向け、能楽おもしろ講座を通年で実施。また、河村定期研能会も開催しています。

おわりに
今回は京都の能楽堂を紹介しました。能楽堂に行くまでの楽しさがより発見できる土地でもあります。お近くにお住まいの方、京都に足を運ぶ機会がある方は、ぜひ京都の能楽堂にて能楽をお楽しみください。
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