富士吉田 梅若薪能に出演された角当直隆先生にインタビューしました。先日開催された梅若薪能の公演や、薪能・野外能に関するエピソードを教えていただきました。
角当直隆 プロフィール(シテ方 観世流)
能楽師である父、角当行雄の元、4歳より子方として舞台に。
五十六世梅若六郎に師事。平成7年独立。昭和47年初舞台、仕舞「老松」。52年初シテ「菊慈童」。披キ昭和57年「石橋」、平成8年「猩々乱」、平成9年「千歳」、平成12年「道成寺」平成16年「望月」平成17年「俊寛」。
緑皇会主宰。
梅若薪能の立ち上げのきっかけ
角当先生:富士吉田 梅若薪能は、父・角当行雄のお弟子さんと私のお弟子さんが中心になって立ち上げました。父は観世流 梅若会の一員ですので、梅若薪能と名付け、1972(昭和47)年から富士吉田で毎年公演を開催しています。現在も富士吉田市や河口湖町を中心とした地域でお弟子さんにお稽古をつけています。
能×プロジェクションマッピングという実験的な試みも開催
角当先生:2019年、能にプロジェクションマッピング(プロジェクターを使用して空間や物体に映像を投影し、重ね合わせた映像にさまざまな視覚効果を与える技術)の演出を加えて上演しました。こちらは会場を替え、ふじさんホールという場所での開催でした。
例えば、私が出演した「花月」という演目では、花月という少年(シテ)が花を踏み散らすうぐいすを懲らしめるために弓を射ようとする場面があるのですが、本来想像で補完するうぐいすや花をプロジェクトマッピングによる表現で補ったりしました。ただ一部の方から「舞台として完成されている能にイメージが加わることで、しつこくなった」という声もあがってしまいましたが、反面、「能を知らない人から見た場合には、とてもわかりやすかった」という声も頂戴しました。
この開催を通じて、なぜ能はこのような省略しているスタイルで演じられ続けているのかが少し分かった気がしました。新しい演出を試みたからこそ、より能の本質が見えた――たいへん貴重な体験だと今でも感じています。
2020年梅若薪能の中止、そして今年2年ぶりの開催への想い
実験的な試みを経て、梅若薪能はこの北口本宮冨士浅間神社で演じることが醍醐味だと、より一層感じています。
過去に開催した時には、靄(もや)がかかっていたり、静かな場面でムササビが飛んでいたりと、屋内の能舞台では味わえない自然の演出の良さを体験できましたが、なによりもやはり境内の雰囲気の良さが大変魅力的でした。私達能楽師も今一度原点に帰って演じることが大切ですし、この場(北口本宮冨士浅間神社)で演じることに特別な想いを持っています。
能楽師の視点からの薪能・野外能の魅力
野外能は、囲まれていない場所で演じる気持ちの開放感がすごく良いです。
というのも、現在の能舞台はほとんどが屋内の中にあり、当然閉ざされた空間になっています。ところが、能は元々野外で演じられるもので、江戸時代までは能舞台は外に立てられるのが普通でした。そのため、原点に戻って上演している気持ちになります。シテ方は面をかけていることが多く、舞台を広く見渡せるということではないのですが、見えるものだけではない野外の魅力を感じながら演じています。
2010年にギリシャで行われた公演では、能「大般若」をヘロディス・アッティコス音楽堂という野外音楽堂で上演しました。その時の開放感は日本とも全く異なるもので、他の出演者の方は「素晴らしかった!」と大絶賛でした。
しかしながらその時も私は面をつけていたのであまり分からず……少し悔しかったです。
過去、薪能で苦労したエピソード
開演直前に雨天になってしまい、急遽会場をホールに変更した事があります。車でホールに移動しないといけなかったため、後部座席にに父を乗せ、私が運転がしたのですが……その時、私達ははすでにシテの鬘・装束をつけてしまっていたため、対向車のドライバーさんにその姿を見られて大変ぎょっとされました(汗)。
「一角仙人」の魅力・見どころ・ポイント
出演者
・一角仙人(シテ)
・旋陀夫人(ツレ)
・龍神(子方二人)
・波羅奈国王の臣下(ワキ)
・輿を担ぐ役人(ワキツレ二人)
・お囃子方(三人)
・後見(二人)
・地謡(八人)
作り物(舞台上の大道具)
・龍神が閉じ込められている岩屋
・旋陀夫人を乗せている輿
・一角仙人の住処の小屋
以上のように、出演者や作り物が大変多いので、にぎやかで迫力があります!
今回、私が演じた旋陀夫人の「楽(がく)」という舞があるのですが、拍子を踏むと、一角仙人もつられて拍子を真似する、少し、かわいらしさがある場面です。
当日の一角仙人の様子を下記より少しだけご覧いただけます。
富士吉田市で一番好きな場所
やはり富士山です。お稽古で訪れた時や、今回の公演のような時は毎回富士山をカメラで撮影しています。