2022年度の「日本全国 能楽キャラバン!」では、「過去、現在、そして未来へ」と題して、日本の美しさが凝縮された特別な圧倒的空間での公演を全国3会場で行います。その一つが、能楽発祥の地・奈良にある世界遺産・薬師寺で2022年11月18日(金)に開催する「奈良特別公演 薬師寺」です。
本公演では、「西遊記」を題材とした復曲能「大般若(だいはんにゃ)」を玄奘三蔵(げんじょう さんぞう)と縁の深い薬師寺で約30年ぶりに再演します。今回、「大般若」でシテを勤められるシテ方観世流の観世喜正氏を東京の稽古場に訪ね、本公演の魅力や「大般若」の見どころについてお伺いしました。
観世喜正プロフィール(シテ方観世流)
1970年、三世観世喜之の長男として生まれる。父に師事。
東京の矢来能楽堂を中心に、国内外の公演に多数出演するほか、講演や体験教室、また謡曲のCD化、能公演のDVD作成、多言語で演目の解説などを配信するタブレット端末の導入など、能の普及に多角的に取り組んでいる。札幌から長崎まで国内十数か所で指導にも当たる。
著書に「演目別に見る能装束」(淡交社)がある。
公益社団法人観世九皐会理事、公益社団法人能楽協会理事。
国宝・本尊薬師三尊像が祀られている金堂前に特別舞台を設けての公演
喜正:能楽のふるさと・奈良では、「過去、現在、そして未来へ」の「過去」を想起する公演として、世界遺産の薬師寺で舞うことになりました。
実は、薬師寺では、祖父の頃から毎年春に行われる寺の行事・花会式(はなえしき)で能を奉納させていただいているご縁があり、毎年、薬師寺にお伺いしていました。しかし、この2年、コロナ禍で能の奉納はもちろん、寺の行事も中止となり、人の少ない寂しい薬師寺を見ていたので、私としても忸怩たる思いがありました。やはり観光客等で賑わってこその薬師寺という思いがありましたので、本公演が薬師寺で実現することになり、たいへんうれしく思っています。
当日は、国宝の本尊薬師三尊像が御座なされている金堂(こんどう)の前に特設舞台を組んで上演します。春の奉納時は御本尊様に向かって舞いますが、今回は特別に、御本尊様を背にしてお客様の方を向いて舞わせていただきます。本公演を通して、奈良において古代から連綿と連なる能楽の悠久の歴史を体現していただけたらと思います。
スペクタクルに溢れた復曲能「大般若」
喜正:「大般若」は、大般若経を求めてシルクロードの旅に出る玄奘三蔵(ワキ=シテの相手役)の行手を阻む深沙(しんじゃ)大王(後シテ=後場の主役)が三蔵の不屈の志に感銘して大般若経を与えて三蔵の帰唐を助ける物語です。
薬師寺は、この大般若経が伝来した寺で、寺内には玄奘三蔵のご頂骨(頭部の遺骨)が納められた玄奘三蔵院伽藍も建っており、たいへんに縁の深い曲と言えます。
また、この作品は長らく上演されず廃曲となっていたものを梅若実桜雪先生が紀彰時代の昭和58年(1983)に劇作家の堂本正樹先生とともに復曲された復曲能で、薬師寺では過去に梅若先生が上演されており、それ以来、約30年ぶりの薬師寺での再演となります。
私が「大般若」のシテを初めて演じたのは平成15年(2003)です。当時、若手能楽師たちで主催していた「神遊(かみあそび)」での上演が許され、梅若先生にお稽古も見ていただきました。その後も、先生に「大いにやりなさい」と言っていただき、これまでに幾度となくシテを勤めてきました。いわば、大先輩たちの胸を借りて勉強と経験を積んできた感慨深い曲です。
「大般若」の魅力は、梅若先生もおっしゃっていますが、スペクタクルに溢れている点です。大王と三蔵のほかに菩薩や龍なども登場し、物語の展開も早くドラマティックで、とにかく楽しい曲なので、能が初めての方にも十分にお楽しみいただけます。
また、後場では、深沙大王の能面にもご注目ください。これは梅若家に代々伝わる「真蛇(しんじゃ)」という面で通常は「道成寺」の替面として使われていましたが、元は「大般若」の専用面だったのではないかという推測により、復曲の試みがスタートしたと聞いています。いわば、復曲のきっかけとなった能面なのです。頭には大龍戴(だいりゅうたい)という龍の冠を載せ、首周りには三蔵を七回も食い殺したということから7つのドクロをつけるなど現代的なアレンジもされています。さらに、囃子も変化に富んでいます。復曲当時は、さぞやいろいろな部分にこだわってお作りになったのではないか、そんな当時の「熱」も伝わってくる曲です。
このような復曲当時のエピソードにも思いを馳せてご覧いただくと、お客様にも過去からのつながりを感じていたただけるのではないでしょうか。
この時期、奈良は絶好の紅葉シーズンですから、奈良・京都観光も兼ねて、ぜひ世界遺産・薬師寺にも足を延ばし、薬師寺に所縁の深いお能を楽しんでいただけたらと思います。