岩手県には数多くの郷土芸能が伝承されており、その種類と数の多さ、質の高さなどから「郷土芸能の宝庫」と言われています。
現在、平泉町で継承されている「毛越寺の延年」「達谷窟毘沙門神楽」「田頭讃念仏」をはじめ、平泉周辺の北上市・奥州市・花巻市など岩手県南部に伝わる郷土芸能をご紹介します。
毛越寺の延年
平安時代の優雅な雰囲気と古い形式を今に伝える
毛越寺の延年は「毛越寺延年の舞」ともいい、平泉町にある世界遺産・毛越寺で、850年(嘉祥3年)の開山以来行われてきた僧侶によって演じられる遊宴歌舞です。
毎年正月20日、毛越寺の秘仏である摩多羅神(またらじん)が祀られている常行堂で行われる祭礼「二十日夜祭(はつかやさい)」で、常行三昧供(じょうぎょうざんまいく)」の修法に続いて午後9時頃から深夜まで奉納されます。
仏を称え寺を讃め千秋万歳を寿ぐ舞の演目は様々で、「呼立(よびたて)」のあと、「田楽躍(でんがくおどり)」「路舞(ろまい、唐拍子とも)」「祝詞(のっと)」「老女」「若女」「児舞(ちごまい)」「勅使舞(ちょくしまい)」の順に行われます。平安時代の数多くの舞を昔のままの姿で今に伝える貴重な舞として、常行三昧供の修法とあわせて国の重要文化財に指定されています。
二十日夜祭のほか、春・秋の藤原まつり、毛越寺のあやめ祭り・萩まつりなどでも舞の一部が披露されています。
達谷窟毘沙門神楽
中世にさかのぼる岩手県内屈指の古い歴史を持つ芸能
平泉町西部の達谷地区に伝わる郷土芸能で、平安時代の創建とされる「達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)」に奉納されてきた由緒ある神楽です。
江戸時代までは修験の神事として舞われてきましたが、明治5年の修験禁止で廃絶。これにより、当時隆盛しつつあった物語要素の強いセリフ神楽への転向がなされ、以降「南部神楽」の一つとして、村人たちにより伝承されてきました。
第二次世界大戦で一時活動が停止するも、昭和46年に平泉町の有志で再結成し、昭和61年から地域の幼稚園で神楽指導を始めたのがきっかけで、子どもの母親たちなどが集まり、現在は女性メンバー中心で活動しています。
同神楽は、1月2日深夜から行われる達谷窟毘沙門堂鬼儺會(おにばらえ)での「舞初め」と12月23日に毘沙門堂本尊に舞を奉納する「舞納め」のほか、町内外のイベント、さらにはブラジルやニューヨークなど海外でも公演されています。平成13年には平泉町無形民俗文化財に指定されました。
田頭讃念仏
花笠を被った女児たちが太鼓を打ち鳴らしながら踊る初盆供養の念仏
田頭讃念仏(たがしらさんねんぶつ)は平泉町長島地区で伝承されてきた郷土芸能で、平泉町無形民俗文化財に指定されています。花笠を被った女児たちが太鼓を打ち鳴らしながら踊るのが特徴で、それに笛、ささら(=びんざさら。短冊状の木や竹を複数枚ひもでつなぎ合わせた楽器)、鉦(かね)が加わり、念仏が歌われます。
念仏の由来は、天明年間(1781〜1789年)、剛力の若者が力比べをしようとして大蛇を殺してしまい、以降、大蛇の祟りに悩まされるようになったため、西国に寺参りに行って念仏を習得し、帰郷して地元の人たちに伝えたのが始まりと言われ、初盆の家を供養するための行事として毎年お盆中に長島地区の民家や墓前で踊られています。
毎年8月15日、庭元宅に集まって笠揃いした後、請われた初盆の家などを回って踊り、夕方には地元の万福寺と東松寺の墓前で踊ります。最初の庭元宅での笠揃い時には、山岳信仰を表した山並みと鳥居が飾られた花笠で、他の場所では花だけを付けた軽い花笠で踊ります。
鬼剣舞
岩手県北上地方に伝わる勇壮な群舞
鬼剣舞(おにけんばい)は、岩手県北上市と奥州市周辺に古くから伝わり、仏の化身として威嚇的な鬼のような面を付け、太刀や扇子を使って勇壮に踊る郷土芸能です。
岩手県全域に伝わる「念仏剣舞」の一つで、現在、北上市を中心に複数の保存会が活動しており、その中の岩崎鬼剣舞や滑田(なめしだ)鬼剣舞などの代表団体が国の重要無形民俗文化財に指定されています。
鬼剣舞の起源は、大宝年間(701~704年)に修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が念仏を唱えながら踊ったのが始まりとも、大同年間(806~810年)に法印・善行院(ぜんぎょういん)が悪霊退散の念仏踊りとして羽黒山から持ち伝えられたとも言われています。
お囃子は太鼓1人、手平鉦(てびらがね)1人、笛2~4人で構成され、踊り手は8人で、これにカッカタ(道化面)、晴衣の少年(または少女)の胴取りが付属するのが本来の姿とされています。
踊り手の面は、1人が白面、他の7人は青・赤・黒・黄の面をそれぞれ付けます。この5色は陰陽五行説による四季・方位を示すとともに悪霊を降伏させ人々を救済する「仏さま(明王)」を表わしています。
鬼剣舞は、8月の「北上・みちのく芸能まつり」と7〜8月の「夏油温泉かがり火公演」のほか、地域の小中学校の運動会や様々なイベントで観ることができます。
鹿踊
岩手県南に伝承されているのは踊り手が太鼓・歌・踊りの1人三役をこなす「太鼓踊系鹿踊」
鹿踊(ししおどり)は、岩手県と宮城県、そして愛媛県宇和島周辺で伝承されている郷土芸能で、鹿の頭部を模した鹿頭とそこから垂らした布で上半身を隠し、背に腰差しのささらと呼ばれる竹を一対つけた踊り手が、鹿の動きを表現するように上体を大きく前後に揺らし、激しく跳びはねて踊ります。
地域の平安と悪霊の退散を祈願する鹿踊は、貴重な郷土芸能として岩手県では無形民俗文化財に指定されています。
岩手県の鹿踊は、かつて伊達藩領だった県南部と、南部藩領だった県北〜中部で大きく2系統に分かれ、平泉が位置する県南は主に「太鼓踊系」で、8〜12人の踊り手が腹につけた締太鼓を打ち鳴らし、歌いながら踊るのが特徴です。
神社での神事やお盆に際して踊られてきましたが、現代では祭りのパレードなどにも参加するようになり、行進しながらの踊りや大人数での踊りも観ることができます。
早池峰神楽
能楽大成以前の古い民間芸能の要素を残すユネスコの無形文化遺産
早池峰神楽(はやちねかぐら)は、岩手県花巻市大迫町に伝わる郷土芸能で、岳(たけ)と大償(おおつぐない)の2つの神楽の総称で、それぞれ早池峰神社・大償神社に奉納されている神楽です。
もとは、早池峰山を霊峰として仰いだ修験山伏たちによる祈祷の舞が神楽になったと言われ、少なくとも500年以上の伝統を持つ古い神楽と言われています。さらに能楽大成以前の古い民間芸能の要素を残していることから貴重な神楽として、昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成21年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。
早池峰神楽を正式に舞う場合は、最初に「打ち鳴らし」という神降ろしの儀式をしてから、必ず式舞(しきまい)という六番(鳥舞、翁舞、三番叟、八幡舞、山の神、岩戸開)を舞います。その後、神舞、女舞、荒舞、番楽舞などの演目の中から数番を選んで舞い、ときには狂言を入れます。そして最後は必ず権現舞で締めくくるのが決まりとなっています。
現在、早池峰神楽は神社の祭礼のほか、年祝・新築祝いの席や、県内外のイベントでも行われています。
能楽との共通点も垣間見られる岩手県南の郷土芸能
今回ご紹介した郷土芸能の中でも、とくに「毛越寺の延年」や「早池峰神楽」などは、能楽の中で“能にして能にあらず”と言われる「翁」の舞に似たものがあり、また寺社の祭礼として伝承されてきたことなど能楽との共通点が垣間見られます。能楽と比べながら観ると、より深い理解を得られたり、また新たな発見があるかもしれません。
現在では、寺社の祭礼のほかに地域の祭りやイベントとして演じられる郷土芸能も多くなり、鑑賞できる機会が増えています。平泉を旅する際には郷土芸能が演じられる日程に合わせて計画されると、より充実したものになることでしょう。
なお、新型コロナウイルス感染症により、中止になったり規模を縮小して行われる郷土芸能もあるので、最新情報を確認してからお出かけください。
写真協力:
岩手県観光ポータルサイト・いわての旅
花巻観光協会サイト・花巻の旅