古には能楽のルーツである猿楽が催されていた聖地

金峯山寺蔵王堂

蔵王堂

世界遺産に登録されている蔵王堂と仁王門

金峯山寺(きんぷせんじ)は、桜の名所として知られる吉野山のシンボルであり、修験道の総本山です。吉野山は古来聖地とされ、鎌倉時代に修験道が成立すると、山一帯に広がる寺社が一つになって運営されるようになり、金峯山寺と総称されるようになりました。
ロープウェイの吉野山駅から歩くと金峯山寺の総門である黒門があり、そこから旅館、飲食店、土産物店などが並ぶ上り坂の参道を行くと仁王門、その先の高台に本堂の蔵王堂が建っています。

2004年、蔵王堂と仁王門は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。

蔵王堂

毎年春と秋の2回、日本最大秘仏の本尊を特別公開

蔵王堂(写真)は、正面5間、側面6間、高さが約34mもあり、木造古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇ります。
本尊の金剛蔵王権現三体は、高さが約7mある日本最大の木像秘仏として知られ、毎年春と秋の2回、期間限定で特別公開されます。

今秋(2021年)のご開帳は10月22日(金)~11月30日(火)。期間中には、吉野山内の宿泊者限定の“夜間拝感”「声明と闇に浮かぶ秘仏蔵王権現」が予定されており、声明が響くお堂をロウソクの灯りだけで照らす、幻想的な夜間拝観を体感できます。

蔵王堂境内の神社

室町時代に猿楽が上演された記録が残る境内の神社

金峯山寺と能楽との関わりは古く、室町時代に蔵王堂の境内に鎮座する天満神社(現在の威徳天満宮、写真)で営まれた野際会で、能楽のルーツである猿楽が催されていたことが「当山年中行事条々」に記されています。

蔵王堂では現在も、プロの能楽師からアマチュアによる奉納公演まで様々な演能が行われています。

2021年秋、蔵王堂では、本サイト「能楽を旅する」の特別番組として、吉野山を舞台とする能「国栖(くず)」が収録されました。

施設情報

住所

639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山2498

連絡先

0746-32-8371

交通案内

近鉄吉野線吉野駅から徒歩2分の千本口駅から、吉野山ロープウェイに乗り、吉野山駅下車、徒歩10

公式ウェブサイト

https://www.kinpusen.or.jp/

能楽番組を見る

国栖

能「国栖」

物語の舞台

晩春の大和国吉野山中 国栖の里(現在の奈良県吉野郡吉野町国栖)

ストーリー

清見原天皇(天武天皇)が吉野山中に逃げ、一軒の庵で休んでいると、その家に住む老夫婦が川舟を操り帰ってくる………。古代最大の内乱・壬申の乱を背景として作られた、見どころ満載の曲。

金峯山寺蔵王堂で収録した番組本編

各演目ページで番組本編を公開しています。

能 「国栖」

前シテ 観世銕之丞 後シテ 大槻文藏

奈良・吉野旅 特別映像

奈良県 吉野 金峯山寺蔵王堂で収録された番組を始め、現在の能楽の流儀へと繋がる大和猿楽四座が活躍した能楽のふるさと・奈良を巡る特別映像です。

フォトギャラリー

四季折々の魅力に溢れた奈良・吉野の風景や能楽に所縁のある名跡のフォト、あわせて金峯山寺蔵王堂で「国栖」を映像収録したおりのオフショットを集めました。

奈良・吉野の四季折々の魅力

春の吉野

約3万本の桜が豪華絢爛に咲き乱れる吉野山へ

吉野山の桜は、古くから桜を神木とした修験道の信徒による献木により植えられ、現在はシロヤマザクラを中心に約3万本の桜が密集しています。見渡す限り山肌を埋め尽くす桜は「一目千本」(ひと目で千本の桜が見えるとの意)と形容されます。
開花は4月上旬頃。麓の下千本(しもせんぼん)と呼ばれるエリアから始まり、1カ月近くかけて、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と山上へ順に開花していくため、長く見頃が続く点が魅力。各エリアには名桜や桜の群生があり、多彩な桜が楽しめます。また、桜の開花に合わせて夜間はライトアップが行われ、幽玄な雰囲気が漂う夜桜を楽しめます。

春の吉野についてさらに知るなら
夏の吉野

風情あるあじさいの坂道をゆったりと散歩

初夏には目にも眩しい深緑の中にあじさいの花が彩りを加える「七曲がりあじさい園」へ。
吉野山の玄関口にある七曲がりの坂道にあり、ロープウェイと並行して曲がりくねりながら続く坂沿いに約4,000株ものあじさいが植えられ、梅雨の時期になるとパステルカラーの花で埋め尽くされます。
七曲がり坂は一般車通行不可のため、あじさいを眺めながら、ゆったり散策が楽しめます。
毎年、見頃の6月上旬~7月上旬には「あじさいまつり」が行われ、期間中はスタンプラリーなどのイベントが行われます。

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秋の吉野

桜の名所は秋の紅葉も絶景

吉野山では、10月中旬に桜の葉が朱に染まりはじめ、11月に入るとモミジの紅葉が見頃を迎え、赤や黄、橙色に山全体が覆われ、見事な光景が楽しめます。桜の開花とは逆に、山頂から麓へと徐々に色づいていく様子も観察できます。
紅葉に彩られた山の景色を一望するなら、上千本の「花矢倉展望台」がおすすめ。
また、山の最奥にあたる奥千本にひっそりと佇む「西行庵」(写真:矢野建彦)は隠れた紅葉の名所。平安期から鎌倉時代に活躍した歌人・西行がしばらく隠遁していたといわれるところで、ひと際鮮やかに色付く紅葉が楽しめます。

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冬の吉野

吉野山の雪景色を愛でながら古刹巡り

真冬は白銀の世界になる吉野山。山々もひっそりと厳粛なムードに包まれ、春から秋の賑わいとは違った味わいが楽しめます。平安期以前は「雪の吉野山」と知られ、吉野山の雪景色を詠んだ名歌も数多く残されています。
真っ白な雪景色の中に佇む名所・旧跡は静寂に包まれ、荘厳な雰囲気となるため、吉野山の雪景色を愛でながら古刹を巡るのもおすすめ。
毎年2月には金峯山寺蔵王堂で節分会が催され、それに合わせて開催される「鬼フェス in 吉野山」では鬼たちが町中を練り歩く光景に出会うこともできます。

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奈良で能楽に触れる

奈良が「能楽のふるさと」といわれる理由

能楽は、奈良時代に中国大陸から渡来した「散楽」(さんがく)を源流としています。散楽には、曲芸や奇術、人形劇など多種多様な芸能が含まれていましたが、平安期に入ると滑稽な寸劇が人気を集めて「猿楽」(さるがく・さるごう)と呼ばれるようになりました。

南北朝期から室町初期には、歌や舞も取り込んで進化した猿楽が、劇団(座)となって諸国で活動し、中でも大和国(奈良県)に本拠を置いた大和猿楽四座が人気を集めました。大和猿楽四座は今の能楽の各流儀の源で、外山(とび)座が宝生流に、結崎(ゆうざき)座が観世流に、坂戸(さかと/さかど)座が金剛流と後に喜多流に、円満井(えんまんい/えまい)座が金春流に、それぞれ受け継がれています。
現在の能楽の流儀へと繋がる大和猿楽四座が活躍した能楽のふるさと・奈良を巡る旅へ出かけましょう。

大和猿楽四座が活動した寺社を訪ねる

大和猿楽四座は、奈良の寺社に奉仕し、寺社の神事や祭礼で集まった人々に芸を披露しました。
当初、四座の本拠地は、坂戸座(金剛)が法隆寺、結崎座(観世)は川西村、外山座(宝生)は桜井市にありましたが、円満井座(金春)がいち早く興福寺に所属した後、四座とも興福寺所属となりました。そして、春日大社の春日若宮おん祭や、興福寺の薪猿楽などに参勤し、勢力を伸ばしました。

かつて坂戸座(金剛)が所属していた「法隆寺」では、現在も記念行事などのおりに金剛流の演能が行われ、令和3年11月6日(土)・7日(日)の「聖徳太子没後1400年法隆寺特別公演 芸能絵巻~和の心と美を世界に」でも、6日に金剛流による能「石橋」が予定されています。

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興福寺(奈良市)伽藍の中心的な建物の中金堂(ちゅうこんどう)

大和猿楽四座が奉仕した「興福寺」の境内には、もっとも早く所属した「金春発祥地の石碑」が建っています。また、古来より連綿と奉納され続けてきた「薪御能」(たきぎおのう)では、四座が一堂に会する古儀に近い形で、毎年5月の第3金曜日・土曜日の両日に南大門跡の「般若の芝」で行われます。

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春日若宮おん祭りの出発点となる、春日大社の摂社である若宮神社(奈良市)
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春日大社本殿までの表参道では多数の鹿の姿が眺められる

春日大社」の「春日若宮おん祭り」では、いまも原初の猿楽が催されています。猿楽が奉納されるのは毎年12月17日。夕刻になると御旅所(おたびしょ)の芝舞台の薪に火が入り、「翁」を簡略化した「神楽式」が金春流宗家によって、「三番三」(さんばそう)の「鈴ノ段」が狂言の大藏流宗家によって演じられます。翌18日には後日能も演じられます。
また、春日大社の神職たちは室町時代頃から演能活動を続けており、毎年4月5日の鎮花祭、1月7日の御祈祷始式で狂言奉納が行われます。

観阿弥・世阿弥の足跡を辿る奈良から京都への旅

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秋には壮麗な朱塗りの十三重塔が紅葉に包まれる多武峰談山神社(桜井市)
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多武峰談山神社で毎年春と秋に行われる「けまり祭」

大和猿楽四座は切磋琢磨して芸の洗練に努めました。中でも、結崎座(観世)の始祖である観阿弥は、多武峰(とうのみね、現在の多武峰談山神社)で活動していた美濃太夫の養子で、当時流行していた曲舞(くせまい)などの芸能を取り入れ、演劇性を高めました。

観阿弥を輩出した「多武峰談山神社」は、大和猿楽四座が参勤し、猿楽を奉納する場所でもありました。その後、多武峰の参勤は絶えましたが、2011年、梅原猛氏が神社所蔵の翁面・摩多羅神面と対面したことをきっかけとして、毎年「談山能」が奉納されています。また、御祭神の藤原鎌足公が蹴鞠の席で中大兄皇子と出会い、大化の改新を成し遂げた故事に基づき、毎年春と秋に開催される「けまり祭」でも知られ、参拝客が装束を着付けしての「けまり体験」も行っています。

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新熊野神社(京都市東山区)。左から、世阿弥自筆の「能」の一字が刻まれた記念碑、「今熊野猿楽図」、「世阿弥 義満 機縁の地」の碑

観阿弥は、奈良から京都へ進出し、1375年(永和1年)に京都の今熊野(現在の新熊野神社)で子の世阿弥を伴い猿楽を奉納しました。これを見物した将軍足利義満は、親子の芸に感動し、彼らを手厚く保護します。このとき世阿弥は12歳で、以降、より洗練された芸を追求し、高雅優美な表現を加えて能を大成させました。

世阿弥以降、能は一時的な衰退もありましたが、江戸時代には喜多流も成立し、大和猿楽四座の系統が能楽界を牽引し、現在に至っています。
能発展の歴史的な舞台となった「新熊野(いまくまの)神社」の境内には、世阿弥自筆の著書『花鏡』から写した「能」の一字が刻まれた記念碑が置かれています。

写真提供(金峯山寺蔵王堂、奈良・吉野の四季折々の魅力、多武峰談山神社の秋のけまり):一般財団法人 奈良県ビジターズビューロー

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