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彦根城の歴史と主要人物

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徳川四天王の一人・井伊直政の子孫が築城

もともと彦根には石田三成居城の佐和山城がありましたが、関ヶ原の戦いで三成が敗れると、徳川四天王の一人・井伊直政が入城します。

直政は、荒廃した城の修築を断念し、新たな城地を求めるも病没。嫡男の直継が後を引き継ぎ、彦根山を新たな城地として慶長9年(1604)に築城をはじめました。

その後に起こった大阪冬の陣へは、直継の弟の直孝が兄に代わって出陣し、その功績により彦根藩主となります。

そして、直孝の時代となった元和8年(1622年)に城郭が完成しました。

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井伊直弼など井伊家14代が歴代城主を務める

井伊家が幕末まで代々城主を務めましたが、その間、35万石に加増され、5名の大老を輩出しました。その中でもっとも有名なのが安政の大獄を行った13代井伊直弼(いいなおすけ)です。

直弼が桜田門外の変で暗殺されると後を継いだ次男の直憲が最後の藩主となります。そして、実戦向けの城として造られた彦根城は戦いが一度もないまま廃藩を迎えます。

その後、彦根城は明治維新の廃城令により解体の危機に見舞われますが、明治天皇が北陸行幸の帰りに彦根を通られたときに保存を命じたため、今日まで残ることとなりました。

彦根城と能楽の関わり合いを調査!

彦根城×能楽

城内には江戸時代建築の能舞台が現存!

城内には江戸時代建築の能舞台が現存!

彦根城で能楽がもっとも盛んになったのは、10代井伊直幸・11代井伊直中の時代でした。直中(1766〜1831)は、日本を開国に導いた井伊直弼の父です。少年時代から父・直幸のもとで能を嗜んでいた直中は喜多流ほか多くの能役者を召し抱え、寛政12年(1800)には城内の表御殿に能舞台を新しく建てました。

能舞台は明治以降井伊神社に移され、彦根市内の神社を転々としますが、数奇な運命を辿り、昭和60年(1985)に二の丸に表御殿を復元して建設された彦根城博物館内に移築、再びもとの城内へ戻りました。江戸時代の城に実際にあった能舞台として現在も残っているのは、ここ彦根城だけと言われ、大変貴重です。

現在、この能舞台では、毎年「彦根城能」「狂言の集い」が開催されていて、由緒ある能舞台の公演として好評です。

埋木舎(うもれぎのや)

日本を開国に導いた井伊直弼
能・狂言を創作し、復曲まで手掛ける

彦根城の歴代城主の中で、もっとも有名な13代井伊直弼(1815〜1860)は、優れた文人でもあり、自ら新作の能と狂言を手掛けました。

直弼は11代直中の14男として生まれたため、父の死後は自らを花の咲くことのない埋もれ木にたとえて「埋木舎(うもれぎのや=写真)」と名付けた三の丸の屋敷で300俵の部屋住み(家督を相続していない者)となります。17歳から32歳の15年間で国学・茶道・和歌・兵法・居合・禅など様々な道を修め、さらには謡・小鼓にも傾倒していきました。

こうした中で、能「筑摩江」と狂言「鬼ヶ宿」を創作し、さらには狂言「狸腹鼓」を復曲したのです。

能「筑摩江(つくまえ)

井伊直弼が唯一創作した能「筑摩江」は琵琶湖から見える名所の数々を織り込んだ謡や、日本三奇祭の一つとされる鍋冠祭の様子を見せる間狂言・三神の舞など見どころの多い曲です。しかし、あまり上演機会はなく近年だと2019年に横浜能楽堂で上演されています。

あらすじ

天皇に仕える臣下が筑摩神社(滋賀県米原市の神社)への参詣途中、神巫たちと出会い、一緒に向かいます。神社に到着すると神巫は臣下たちに三柱の御神(ご祭神)について語ります。不思議に思った臣下が神巫の正体を問うと、宮の内へと姿を消します。その後、神職と女達、さらには御食津ノ神(みけつのしん)などの神々が現れて舞姿を見せ、五穀豊穣とめでたき御代を祝福しました。

狂言「鬼ヶ宿(おにがやど)

狂言「鬼ヶ宿」は、能「黒塚(安達原)」をもとに井伊直弼が作り、直弼が暗殺される数日前に、九世茂山千五郎師により初演されたと言われています。 
彦根藩お抱えの能楽師でもあった狂言方大蔵流の茂山千五郎家に今も伝わる曲です。

あらすじ

太郎は最近疎遠になっていた安達ケ原の女の家を訪ねます。すでに太郎に愛想を尽かしている女は、早々に追い返そうと考えます。女は、太郎が酒を所望したのをいいことに「家にはないので、里離れの酒屋まで行って買ってきてほしい」と頼み、最近は夜毎に恐ろしい鬼が出るそうなので、用心するように言います。太郎が酒屋の振る舞い酒でよい気分になって戻ってくると……。

狂言「狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)

狂言「狸腹鼓」は、井伊直弼が嘉永5年(1852)に古作を改訂して復曲した狂言で「彦根狸」とも呼ばれています。現在、狂言方の大蔵流・和泉流に伝わっています。流派や家によって台本や演出に違いがありますが、現行曲中でもっとも重い位の曲として扱われます。

あらすじ

猟師が狸を射ようとしているところへ、夫の雄狸の行方を心配する雌狸が尼に化けて現れ、殺生を止める約束をとりつけます。ところが、尼は犬の鳴き声に驚いたところを猟師に見られ、正体を見破られてしまいます。尼は懸命に命乞いをし、腹鼓を打つことを条件に命を助けてもらうことに。尼は正体を現して狸となって腹鼓を打って回り、猟師が喜んで真似をしている隙に逃げていきます。

彦根城 特別映像

彦根城 × 能楽師の関係を探る

能楽師インタビュー

巴

彦根城 特別公演でご当地能「巴」を舞う 金剛龍謹インタビュー

能楽と所縁の深い城を舞台に特別公演を開催する「能楽を旅する 名城×能楽公演」。彦根城(滋賀県)では彦根城 特別公演を開催いたしました。
この特別公演において、能「巴」でシテ(主役)を勤めたシテ方金剛流若宗家の金剛龍謹さんに、本公演の魅力や能「巴」の見どころ、そして武士と能楽との関係などについて語っていただきました。

400年の歴史あり!国宝の現存天守を抱いて琵琶湖に望む華麗な堅城

彦根城の見どころ

美しい姿を今に残す現存の国宝天守

美しい姿を今に残す現存の国宝天守

彦根城は彦根山に築かれた城で、彦根山の別名・金亀山の名から「金亀城(こんきじょう)」とも呼ばれます。

白亜の三重三階の天守は、江戸時代の姿をそのままに残す現存12天守の一つに数えられ、国宝に指定されています。

多様な破風(はふ=屋根の妻側の造形)を組み合わせた変化のある屋根や、釣鐘型の花頭窓(かとうまど)など変化に富む華麗な装飾が施され、他の天守にはない美しさを醸し出しています。

ここでしか見られない「天秤櫓」

ここでしか見られない「天秤櫓」

彦根城は天守だけでなく、櫓(やぐら)など数多くの建造物が現存しています。

中でも、国の重要文化財に指定されている天秤櫓(てんびんやぐら=写真)は、戦時には中央部にかけられた廊下橋を落とし、敵の侵入を防ぐように造られており、他では見られない珍しいものです。

また、こけら葺きの屋根が美しい馬屋(うまや)も、城内に残っている馬屋としては貴重で、藩主などの馬21頭がつながれていたと伝えられています。

ひこにゃん

城内では「ひこにゃん」にも会える!

城内では、彦根市のキャラクター「ひこにゃん」に会うこともできます。ひこにゃん公式サイトで毎日のスケジュールをチェックして会いにいきましょう。

二の丸にある「玄宮園(げんきゅうえん)」も必見。江戸前期に整備された池泉回遊式庭園で、隣接する下屋敷の「楽々園」とともに国の名勝に指定されています。桜や紅葉の名所で期間中にはライトアップが行われ、幻想的な風景を楽しむことができます。

アクセス

住所

〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町1-1

連絡先

0749-22-2742

交通案内

JR彦根駅から徒歩で約10分

駐車場

二の丸駐車場(もっとも城に近い)など4カ所有り

ウェブサイト

https://hikonecastle.com/ (公式)

写真協力:(公社)びわこビジターズビューロー

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