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松山城の歴史と主要人物

七本槍の1人として有名な加藤嘉明が本丸を築く

賤ヶ岳の七本槍の一人、加藤嘉明が本丸を築く

松山城の創設者である加藤嘉明(かとう よしあき/写真の像)は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人。関ヶ原の戦いでは徳川方に付き、その戦功により伊予(現:愛媛県)を与えられ、慶長7年(1602)に築城を開始します。しかし、本丸を完成させたところで会津藩(福島県)に転封(所領を別の場所に移すこと)となります。その後はキリシタン大名として有名な蒲生氏郷の孫である蒲生忠知(がもう ただとも)が城主となり二の丸を増築するも、寛永11年(1634)に病死、跡取りがいなかったため家は断絶となります。

松平家初代が大改築に着手し12代時に完成

松平家初代が大改築に着手し12代時に完成

蒲生忠知が亡くなった翌年、伊勢国の桑名城主であった松平定行が松山藩主となって入城し、城の大改築に着手します。寛永19年(1642)に天守を完成させるも、天明4年(1784)に落雷で天守をはじめ多くの建物が焼失します。松平家は幕府に再建を働きかけ、文政3年(1820)から再建工事に着手し、33年の歳月を経て嘉永5年(1852)、12代松平勝善(まつだいら かつよし)(画像)の時に現在も残る天守が完成しました。松平家は、初代の松平定行以来14代が世襲して明治維新を迎えました。

松山城と能楽の関わり合いを調査!

松山城×能楽

松山城の能舞台に町人も立った町入能

松山城の能舞台に町人も立った町入能

伊予松山藩時代の松山城には二の丸と三の丸に能舞台が建てられ、藩の儀式や祝い事では能が演じられました。

江戸幕府が慶事の際に町人たちに特別参観を許した「町入能(まちいりのう)」を行ったことにならい、松山藩でも町入能がいくどとなく催されました。宝暦9年(1759)8月に三の丸で行われた演能では、5日間のうち2日間を町入能とし、前場(前半)が終わってシテなどがいったん退場する中入では料理・赤飯・餅・御神酒が町人たちにも配られました。各日とも能五番、狂言二番が演じられたため、藩お抱えの能楽師だけでは足りず、町人が笛や鼓、地謡(コーラスグループ)、シテツレ(主人公の助演者)を手伝うなどして賑わっていました。

※1 注釈は最下部に記載

松山城下では辻能が人気を集める

松山城下では辻能が人気を集める

松山城下には、町入能の影響もあり、元禄年間の1700年頃から「辻能(つじのう)」が現れました。これは、町の辻や寺社で行われる大衆向けの趣向を凝らした能で、とくに宝暦元年(1751)以降は、大阪出身の掘井仙助座が人気を集め「仙助能」ブームが起きました。

仙助能の巡業は数多く行われ、2週間以上に及ぶ興行もあったと伝えられています。場所は現在の阿沼美神社など、野天に小屋掛けした会場で、一座15〜16人が1日に能五番と狂言三〜四番を演じ、ひとりの役者が複数の役を勤めました。

演目は能「石橋」「道成寺」などの大曲もありました。仙助座は代々「仙助」名を継ぎ、松山城下の巡業は5〜7代と長くにわたって行われていきました。

松山藩の能面・能装束が今も残る東雲神社

松山藩の能面や能装束が今も残る東雲神社

松山藩の能面と能装束は、明治維新時に競売に出されましたが、高浜虚子の父で元藩士の池内信夫などが保存のために奔走し、松山市の東雲神社(しののめじんじゃ)に奉納されました。現在、東雲神社には能面153面、狂言面42面、能装束110点が保存されています。中には2代城主蒲生家伝来の桃山時代のものも含まれています。

東雲神社では明治8年(1875)から能が奉納されましたが、戦災などで中断を繰り返し、平成7年以降は途絶えていました。平成22年(2010)に「東雲能」として復活。毎年4月4日の東雲能は、松山藩伝来の能装束や能面を身に付け、演能されてます。

ほかにも、松山城では毎年5月に二之丸史跡庭園に特設能舞台を設けての「二之丸薪能」と、毎年10月に「松山城三之丸能」が行われています。

攻守に優れた連立式天守を構える広大な城

松山城の見どころ

天守防衛の究極の姿である連立式天守

天守防衛の究極の姿である連立式天守

標高132mの勝山山頂にそびえ立つ三重三階地下一階の天守は、現存12天守の中でも江戸後期ともっとも遅い時期に建てられました。天守の周囲を小天守、櫓、門などが取り巻き、敵の侵入を防ぐ厳重な連立式天守を形成しているのが特徴です。

天守や小天守の内部には、初代城主の加藤嘉明の鎧など歴代城主に関連した武具や資料が展示されています。

天守からは松山平野の大パノラマのほか、天気の良い日には瀬戸内海を見渡せる絶好のポイントです。

松山城最古の建物で貴重な野原櫓

松山城最古の建物で貴重な野原櫓

本丸は、天守のほかにも戦災などの危機を免れた貴重な建物が残っています。松山城最古の建物である野原櫓(写真)は、一階の天井の梁を通じて二階を支える日本で唯一現存している望楼(ぼうろう)型二重櫓で天守の原型と言われています。

そして、山頂の本丸と麓を二本の石垣で繋げた登り石垣は、山腹から侵入しようとする敵を阻止するため、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に倭城で採用した防備手法であり、貴重な資料です。

「恋人の聖地」に認定された二之丸史跡庭園

「恋人の聖地」に認定された二之丸史跡庭園

現在の松山城は、本丸から麓までは城山公園として整備されていて、国の史跡として「日本さくら名所100選」「日本の歴史公園100選」に選ばれています。

中腹にある二之丸史跡庭園(写真)は、松山藩主の邸宅の間取りを水と砂利と芝生によって再現した奥御殿流水園や発掘調査で見つかった大井戸遺構が露出展示されており必見の場所です。

最近では、結婚式の前撮りの場所として利用される事より「恋人の聖地」に認定され、恋のパワースポットとしても人気です。

アクセス

住所

〒790-0008 愛媛県松山市丸之内1

連絡先

089-921-4873

交通案内

JR松山駅から松山城ロープウェイのりばまで車で約10分。ロープウェイは約3分、リフトは約6分で長者ヶ平に到着。そこから天守入口までは徒歩10分。
※麓から徒歩で登城する場合は4ルートあり、いずれも所要時間は20〜30分。

最寄の停留場

「大街道」(伊予鉄道市内電車)から松山城ロープウェイのりばまで徒歩5分

駐車場

松山城駐車場(松山城ロープウェイのりばまで徒歩約2分)あり

公式ウェブサイト

https://www.matsuyamajo.jp/

写真協力/いよ観ネット、松山市公式観光WEBサイト

  • 1 「温故東の花 第三編 旧幕府御大礼之節町人御能拝見之圖」楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)画 明治22年(1889)刊 大判錦絵3枚続 所蔵館=東京都立中央図書館特別文庫室(加工)

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