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熊本城の歴史と主要人物

名築城家との呼び声が高い加藤清正が築城

名築城家との呼び声が高い加藤清正が築城

この地はもともと茶臼山と呼ばれる丘陵地で、室町時代に築かれた千葉城や隈本(くまもと)城がありました。

天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定により隈本城は臣下の佐々成政(さっさ なりまさ)に受け継がれますが、肥後国統治に失敗して失脚。

代わりに秀吉の忠臣の加藤清正が入城します。

清正は関ヶ原の合戦の功績により肥後国藩主となった後、慶長6年(1601)に茶臼山全域を利用した築城に取り掛かり、慶長12年(1607)に熊本城を完成させました。

熊本藩細川家11代が城主を務める

熊本藩細川家11代が城主を務める

加藤清正没後、嫡男の加藤忠広が後を継ぎますが、寛永9年(1632)に謀反の疑いをかけられ流刑になったため、豊前小倉城の城主だった細川忠利(写真左の像、右の像は忠利の祖父で細川家の礎を築いた藤孝)が入城しました。

細川家は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、戦国の世をくぐり抜けてきた大名家です。

以降、明治維新を迎えるまでの約240年間、熊本藩細川家11代による世襲が続きました。その間は築城時の姿のままでしたが、西南戦争直前の火災により天守をはじめ多くの建物が焼失しました。

熊本城と能楽の関わり合いを発見!

熊本城×能楽

2神社の御神事能を再興した加藤清正

2つの御神事能を再興した加藤清正

熊本城を築いた加藤清正は、稀代の能好きとして知られ、豊臣家から譲り受けた金春流の武家役者・中村政長とともに肥後に入ります。清正は本丸の能舞台などで盛大な能の会を催し、能「箙(えびら)」を自ら舞った記録も残っています。

さらに、清正は、藤崎八幡宮(写真)と北岡神社における御神事能(神社の祭礼に奉納される能楽)を再興しました。両神社とも熊本市に現存しています。

現在、藤崎八幡宮 御神事能は、毎年9月に行われる藤崎八旛宮秋季例大祭の行事のひとつとして段山御旅所(だにやまおたびしょ)能舞台で金春流と喜多流によって奉納されており、実に400年以上続いています。

寛文年間には「菊池の松囃子御能」も復興

寛文年間には「菊池の松囃子御能」も復興

熊本藩 細川家は学問・文化を尊ぶ家柄で、能を愛好した大名として知られています。

初代藩主忠利と2代藩主光尚は金春流(中村家)喜多流(友枝家)を召し抱え、武家から町衆まで広く能を浸透させました。

寛文年間(1661〜1673)、3代藩主綱利の頃は、南北朝時代を始まりとする古風な舞「菊池の松囃子(まつばやし)御能」も復興され、以後、肥後では長きにわたり能が隆盛を極めました。

現在、菊池の松囃子御能(写真)は、菊池神社秋季例大祭に合わせ、毎年10月13日に菊池市にある菊池松囃子能場で舞われます。

現在の熊本県には5つの能舞台が現存

現在の熊本県には5つの能舞台が現存

熊本県には前出の段山御旅所能舞台菊池松囃子能場のほか、出水(いずみ)神社能楽殿河尻(かわしり)神宮能舞台北岡神社舞殿(いずれも熊本市)の5つの能舞台が現存し、御神事能などが奉納されています。

中でも、出水神社能楽殿(写真)は、熊本城下の水前寺成趣園(通称・水前寺公園)内にあり、昭和61年(1986)に細川家家臣の松井家にあった能舞台を移築したものになります。現在、春秋大祭での御神事能のほか「出水神社薪御能」が毎年8月第1土曜日の夕刻より奉納されていて、熊本の夏の夜を彩る風物詩として定着しています。

熊本城 特別映像

能「白田村」舞の紹介
熊本城にいる能楽師をさがせ!
熊本城ならではの豆知識クイズ!

熊本城 × 能楽師の関係を探る

能楽師インタビュー

白田村1

熊本城の大名らが復興、現在まで続く御神事能
狩野了一インタビュー

熊本は、熊本城が築かれる以前から能楽の源流である猿楽が盛んな土地でした。熊本城が築城され、赴任した大名たちは、猿楽を神社の祭礼に奉納する「御神事能(ごじんじのう)」として復興し、発展させました。現在も、熊本の各神社では御神事能が舞われています。

熊本で生まれ、喜多流宗家に入門のため上京してからも、熊本に足繁く通い御神事能の舞台を支える狩野了一さんに、熊本の能楽の過去と現在、熊本城への想い、さらに能楽協会 熊本城 特別映像として制作している能「白田村」の魅力についてお伺いしました。

加藤清正が築いた難攻不落の名城

熊本城の見どころ

「武者返し」の異名を持つ石垣

「武者返し」の異名を持つ石垣

日本三大名城の一つとして知られる熊本城の一番の見どころは、美しい曲線美を持つ石垣(写真)です。

上に向かうほど反り返りが激しくなり敵が登ることができないことから「武者返し」とも呼ばれます。この城内全域に張り巡らされた堅牢な石垣により、明治10年(1877)の西南戦争の際は薩摩軍から城を守り抜き、難攻不落の堅城であることを実証しました。

ほとんどの石垣は築城当時のままの姿で残っていますが、平成28年(2016)の熊本地震では一部の石垣が沈下するなどの被害を受けました。

瓦の枚数まで忠実に復元した大天守と小天守

瓦の枚数まで忠実に復元した大天守と小天守

長らく失われていた天守は昭和35年(1960)、加藤清正生誕350年と熊本市制70周年を記念して、本丸跡に大天守小天守を再建。明治時代初期に撮影された記録写真などをもとに、瓦の枚数までも忠実に復元されました。

大天守は三層六階地下一階で大変大きく、内部は「市立熊本博物館」の分館として築城資料などが展示されています。

最上階からは遠く阿蘇の山並みまで見渡せます。天守は熊本地震で被災しましたが、現在は復旧作業が進められています。

絢爛豪華に復元された本丸御殿

絢爛豪華に復元された本丸御殿

西南戦争直前の火災を免れ、築城当時の姿を保つ宇土櫓(うとやぐら)も熊本城の見どころのひとつです。天守に匹敵する三重五階地下一階の規模と構造であることから「第三の天守」とも呼ばれています。

平成20年(2008)に築城400年を記念して再建された本丸御殿も必見です。豪華絢爛な大広間「昭君之間(しょうくんのま)」(写真)などが忠実に復元され、床下には闇り通路(くらがりつうろ)と呼ばれる石垣でできた珍しい地下通路を備えています。

アクセス

住所

〒860-0002 熊本県熊本市中央区本丸1-1

連絡先

096-352-5900

交通案内

JR熊本駅から車で約10分

最寄の停留場

「熊本城・市役所前」(市電)から徒歩10分

駐車場

二の丸駐車場、三の丸第一駐車場、三の丸第二駐車場、宮内駐車場、桜の馬場観光交流施設駐車場

公式ウェブサイト

https://castle.kumamoto-guide.jp/

写真協力:熊本城総合事務所、熊本県観光連盟、菊池市教育委員会(菊池の松囃子御能の写真)

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