• TOP
  • 岡山県・岡山城

岡山城の歴史と主要人物

戦国大名の宇喜多秀家が秀吉の助言に従い築城

戦国大名の宇喜多秀家(ひでいえ)が豊臣秀吉の助言に従い岡山城を築城

この地には、もとは金光氏が支配していた石山城がありましたが、元亀元年(1570)に戦国大名の宇喜多直家(うきた なおいえ)が奪い、新たな城の築城に取り掛かりました。直家の築いた城をさらに大改修し、岡山城へと拡大整備したのは、直家の嫡男で豊臣秀吉の養子となり、のちに豊臣政権の五大老の一人となった宇喜多秀家(写真の像)です。秀家は秀吉の助言に従って岡山城を城下町と一体となった本格的な城郭に整え、慶長2年(1597)には天守を完成させました。しかし秀家は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに敗れて八丈島へ流刑となり、そこで49年間を過ごしたのち、明暦元年(1655)に83歳で生涯を閉じました。

池田家が12代にわたり城主を務める

小早川家に続いて、池田家が12代にわたり城主を務める

関ヶ原の戦いの後は、小早川秀秋が入城して岡山城の外堀を築きますが、慶長7年(1602)、実に在城1年余りで急死してしまい小早川家は途絶えてしまいました。
代わって翌年、姫路城主の池田輝政の次男、忠継がわずか5歳で岡山藩初代藩主となり慶長19年(1614)に入城します。以後、池田家が12代260年余りにわたり城主を務めました。とくに4代綱政(※1)は、岡山城北側に、現在日本三大名園の1つに数えられる岡山後楽園を造ったことで知られています。

※1 注釈は最下部に記載

岡山城と能楽の関わり合いを発見!

岡山城×能楽

将軍の前で能を舞った4代城主・池田綱政

将軍の前で能を舞った4代城主・池田綱政

岡山後楽園の築庭者として有名な4代岡山城主の池田綱政(1638〜1714年)は、能に熱心で優れた舞手でもありました。綱政は、50歳を境に徐々に能に情熱を傾け、元禄7年(1694)に江戸藩邸に能舞台を造ると諸大名を招いて能の会を多く催すようになります。

元禄9年(1696)には、江戸城で催された将軍・徳川綱吉の能の会で、得意とする演目「三輪」のシテ(主役)を勤めました。以後、綱政は、将軍の前で能を舞う機会を5回得ており、自身も好んだ演目「船弁慶」「野宮」などのシテを勤めています。

※2 注釈は最下部に記載

岡山城追加画像・g

能を領民に披露するため後楽園能舞台を新築

池田綱政は、宝永4年(1707)には岡山後楽園に能舞台を完成させます。その目的は「養生(健康)」と「能を領民に見せるため」で、毎回能の会で自ら舞台に立った綱政は能を通じて養生に励み、77歳まで現役で藩政を行いました。

そして、後楽園能舞台では、それまでは限られた武士しか見ることのできなかった能を、広く藩士の妻子や領民にも披露しました。以降、正徳4年(1714)に綱政が亡くなるまでに、後楽園能舞台で開催された能の会は144回、総勢7万7105人が演能を楽しんだと古文書に記されています。

※3 注釈は最下部に記載

岡山城下には今も綱政の足跡が多数残る

岡山城下には今も綱政の足跡が多数残る

池田綱政が造った後楽園能舞台は戦災で焼失しましたが、昭和33年(1958)に岡山後楽園に復元されました。

普段は一般公開されていませんが、プロの能楽師を招いて、毎年10月第1土曜日に「岡山後楽園で能をたのしむ会」、11月3日文化の日に後楽能が開催されるなど、多くの人々が能や狂言に親しめる場となっています。

また、綱政が愛用した能面や能装束、能に関する貴重な資料が岡山城 二の丸跡に建つ林原美術館に残されています。

岡山城 特別映像

 

岡山城 × 能楽師の関係を探る

能楽師インタビュー

atsumori

岡山城と能「敦盛」の魅力 観世喜正インタビュー

能楽と所縁の深い城を舞台に特別公演を開催する「能楽を旅する 名城×能楽公演」。岡山城(岡山県)では岡山後楽園 特別公演を開催しました。この特別公演において、能「敦盛」でシテ(主役)を勤めるシテ方観世流の観世喜正さんに、岡山城とご自身との関わりや能「敦盛」の見どころ、そして本公演の魅力についてお伺いしました。

漆黒の天守がそびえる別名「烏城」

岡山城の見どころ

黒漆塗の下見板張りで覆われた天守

黒漆塗の下見板張りで覆われた天守

昭和41年(1966)に旧来の外観のままに再建された天守は、外壁が黒漆塗の下見板張り(したみいたばり)で覆われていることから「烏城(うじょう)」とも呼ばれています。三重六階の下層は不等辺五角形、上階が正方形という全国でも珍しい複雑な構造で、屋根には金鯱瓦(きんしゃちがわら)が掲げられ、黒と金のコントラストが美しさを際立たせています。

なお、天守は現在「令和の大改修」中で、令和4年11月3日にリニューアルオープン予定です。

遺構として唯一現存する2基の櫓

遺構として唯一現存する2基の櫓

岡山城の建物は明治の廃城令と第二次世界大戦の空襲で大半が失われてしまい、現存するのは本丸にある月見櫓(写真)と、本丸から400mほど西の小学校跡地に残る西丸西手櫓のみです(ともに重要文化財)。

そのうち月見櫓は、元和・寛永年間(1615〜1632)に建てられたもので全国の城の中でも最古の遺構とされる貴重なものです。

月見櫓付近にある塀の土台石には、銃眼(じゅうがん)と呼ばれる弓矢や銃を放つための小さな窓が並んでおり、こちらも必見です。

江戸時代の面影を伝える庭園・岡山後楽園

江戸時代の面影を伝える庭園・岡山後楽園

岡山城の城跡は烏城公園、そして旭川を隔てた北側には広大な岡山後楽園が広がっています。

岡山後楽園は、芝生地・池・築山・茶室などが整備され、全長640mの曲水が園内を巡るなど江戸時代の面影を伝える庭園として国の特別名勝にも指定されています。

園内では、四季を通じて茶つみや月見など様々な行事が催されているほか、期間限定で天守と園内をライトアップする夜間特別開園幻想庭園を楽しめます。

アクセス

住所

〒700-0823 岡山県岡山市北区丸の内2-3-1

連絡先

086-225-2096

交通案内

JR岡山駅から車で約10分

最寄の停留場

「城下」(路面電車・岡山電気軌道東山本線)から徒歩7分

駐車場

烏城公園駐車場が有り

ウェブサイト

https://kin-ujo.jp/(公式)

写真協力:岡山県観光連盟、岡山後楽園(後楽園能舞台の写真)

  • 1 池田綱政画像(池田家歴代画像「縄武像」より) 所蔵館=林原美術館
  • 2 画像は、能「野宮」の演能の様子を描いた池田綱政筆「玉井野宮花車図絵巻」(部分) 所蔵館=林原美術館
  • 3 画像は、池田綱政が愛用した能面「小面 銘 倚迢」 所蔵館=林原美術館

SNSでシェアする