平安時代後期、奥州藤原氏が栄華を極め、多くの仏教建築や庭園が造られた平泉には、中尊寺と毛越寺(もうつうじ)を中心に年間を通して数多くの祭典・行事があります。

本記事では、いにしえより続く伝統行事から町民の声を元に始められた比較的新しい行事まで、他の地域ではなかなか見られない特徴あふれる新旧の行事をご紹介しましょう。

毛越寺二十日夜祭(1月20日)

松明を振りかざす迫力の献膳上り行列と、厳かな延年の舞が対象的な冬の風物詩

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厄年の男性たちが極寒の中、下帯姿で松明を振りかざし、威勢の良い掛け声とともに毛越寺を目指す献膳上り行列

毛越寺では、秘仏・摩多羅神(またらじん)が祀られている常行堂で、1月14日~20日まで新春の祈祷として摩多羅神祭が執り行われます。その結願の20日に行われるのが毛越寺二十日夜祭(もうつうじはつかやさい)で、約850年前から始まったと伝わる歴史ある祭りです。

午後3時から献膳式や護摩祈祷が行われ、祭りのハイライトは夜の「献膳上り行列」。厄年の老若男女が松明の明かりを先頭に平泉駅前から常行堂まで練り歩き、仏前に大根や白菜などの野菜を奉納し、無病息災・家内安全を祈願します。厄年の男性たちは下帯姿で威勢の良い掛け声とともに松明を振りかざし、毛越寺に到着すると、堂内で今年の年男を決める蘇民袋の激しい争奪戦、さらには誰でも参加できる餅まきも行われ、最高潮の盛り上がりを見せます。

祭りの最後を締めくくるのは堂内で僧侶たちが舞う「延年の舞」。平安時代の姿を今に伝える舞が、夜半まで厳かに奉納されます。

献膳上り行列や延年の舞を見学するため、県内外から観光客が訪れる人気の祭りです。

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国指定の重要無形民俗文化財になっている延年の舞

春の藤原まつり(5月1日〜5日)

豪華絢爛な源義経公東下り行列が新緑の平泉を華やかに彩る

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義経役を人気の若手俳優などが務め、山伏姿の弁慶ら武者一行・待女たちを従えて行列する源義経公東下り行列

藤原まつりは1955年にはじまった祭りで、毎年2回、春と秋に開催され、奥州藤原氏の栄華を今に伝えています。

春の藤原まつりは5月1日から5日に開催され、4日と5日に中尊寺御神事能が白山神社能舞台で奉納されます。華やかな催しが数多く行われ、最大の見どころは、3日の「源義経公東下り行列」。兄・頼朝に追われた義経主従が平泉にたどり着き、藤原秀衡の出迎えを受け、民衆も歓喜したという情景を再現したもので、義経役に毎年人気の若手俳優が扮し、牛車や騎馬武者など100名ほどを連ねた豪華絢爛な行列が毛越寺から中尊寺まで約2時間をかけて練り歩き、沿道は多くの人で賑わいます。

そのほかにも、子どもたちが稚児装束を身につけて中尊寺の本堂から金色堂までの約300mを歩く「稚児行列」(1日)、ユニークなところでは三方にのせた米1俵分の餅を持って歩く距離を競う「弁慶力餅競技大会」(5日)など多彩な催しが新緑の平泉を盛り上げます。

秋の藤原まつりは11月1日から3日に開催され、中尊寺本堂での藤原四代公追善法要から始まり、3日に中尊寺能が奉納されます。春の華やかな賑わいとは趣が異なり、鮮やかに色付いた美しい紅葉の下、中尊寺では紅葉の枝葉を手にした子どもたちによる稚児行列(1日)、毛越寺では優雅な延年の舞(3日)などが行われ、しっとり落ち着いた雰囲気の中で平泉の秋の風情を楽しむことができます。

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源義経公東下り行列の一コマ。毛越寺の大泉が池に義経役と秀衡役が乗った2艘の舟を浮かべ「ねぎらいの場」を再現している

毛越寺曲水の宴(5月の第4日曜日)

浄土庭園を舞台に平安時代の優雅な歌遊びを再現

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浄土庭園の遣水に盃を浮かべ、流れに合わせて和歌を詠む平安時代の優雅な歌遊びを再現した毛越寺曲水の宴

毛越寺には、仏堂と苑池が一体として配された浄土庭園が、平安時代そのままの優美な姿で広がっています。

その浄土庭園を舞台として、平安時代の装束に身を包んだ歌人が並び、当時の優雅な歌遊びを再現したのが毛越寺曲水(ごくすい)の宴です。

1983年の発掘調査で浄土庭園から平安時代の遣水(やりみず)の遺構が発見されたことを記念して、1986年から毎年5月の第4日曜日に行われています。

遣水とは、山水を池に取り入れるための水路のことで、浄土庭園の遣水は水底に玉石が敷き詰められ、蛇行する流れが素晴らしい景観をつくっています。

毛越寺曲水の宴では、この遣水に盃を浮かべ、水辺に座る歌人が自身の前に流れ着くまでに歌題にちなんだ和歌を詠んで短冊にしたため、流れてくる盃を傾けます。

遣水に盃を流す前には、催馬楽(さいばら、平安時代の歌謡)に合わせて延年の舞の一つ「若女(じゃくじょ)」の舞が奉納され、雅な平安絵巻のような世界が広がります。

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宴の初めには、催馬楽に合わせて若女の舞が奉納される

平泉水かけ神輿(7月中旬)

沿道の町民から清め水が神輿と担ぎ手に容赦なく浴びせられる町民参加型の祭り

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神輿の行列の先には水槽が置かれ、観客はバケツ、杓、水鉄砲などで神輿と担ぎ手に大量の水を惜しげもなくかける

平泉水かけ神輿は、沿道からの「清め水」を浴びながら、毛越寺に隣接する庭園・観自在王院跡から中尊寺金色堂までを勇敢に豪快に練り歩きます。

1995年に東京・深川の富岡八幡宮の水かけ神輿を招いて行った「蘇れ黄金・平泉祭」のメイン行事「御神輿渡御」が町民に大好評だったことから翌96年に町内の若者が結束した担ぎ手組織「平泉神輿会」が結成され、町民参加型の祭りとしてスタート。以来、毎年7月中旬に開催されています。

前日には宵宮が行われ、町民によるフラダンスやよさこいソーラン、郷土芸能などが披露されるほか、夜市が立ち、賑わいを見せます。

当日は観自在王院跡を出発し、毛越寺、平泉駅前を経由して中尊寺金色堂まで神輿渡御しますが、沿道の町民や観光客から清め水が容赦なく絶え間なく浴びせられ、「ワッショイ、ワッショイ」と大きなかけ声が湧き上がり、町は熱気に包まれます。

平泉大文字送り火(8月16日)

平泉の夏に終わりを告げる追善供養の行事

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束稲山に約100メートルの「大」の字が灯され、夜空に浮かび上がる。

平泉大文字送り火は、京都・東山になぞらえた束稲(たばしね)山に、約100メートルの「大」の字が灯され、夜空に浮かぶ毎年の恒例行事。始まりは1965年で、奥州藤原氏四代公と義経主従の追善、戦没者や先祖代々の精霊(しょうりょう)供養、そして2011年以降は東日本大震災物故者の慰霊のために、毎年8月16日に行われています。

16日夕方、中尊寺の東物見台で法要が営まれた後、1200年にわたって灯され続けている中尊寺本堂の「不滅の法燈」から分火した火種をトーチリレーしながら束稲山に向かいます。午後8時に束稲山駒形峰の火床に点火されると、山肌に大文字送り火が浮かびます。

お盆最終日に行われるこの平和の祈りは、平泉の夏に終わりを告げる行事となっています。

年中行事を通して平泉の人々の思いに触れる旅を

平泉の年中行事には、平泉の地に文化遺産の数々を生み出した奥州藤原氏への尊敬の念や追善供養、さらには無病息災・家内安全に至る平泉の人々の願いが詰まっています。そんな平泉の人々の思いに触れられる年中行事の日程に合わせて、ぜひ平泉への旅を計画されてみてはいかがでしょうか?

なお、これらの年中行事は、新型コロナウイルス感染症の影響で縮小や中止を余儀なくされる場合もありますので、最新情報を確認してからお出かけください。

 

写真協力:ひらいずみナビ

岩手県観光ポータルサイト・いわての旅

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