能の演目には、吉野を舞台としたものが多くあります。その中から、本サイト「能楽を旅する~奈良・吉野旅」として映像を収録予定の「国栖」、そして「吉野天人」「二人静」の舞台となった吉野の地をご案内します。

「国栖」の舞台

吉野川を見下ろす断崖上に鎮座する浄見原神社

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岩肌に張り付くような石段の上に鳥居と社殿が見える

能「国栖」は、壬申の乱(672年)を題材とした人気曲で、その舞台は天武天皇(浄見原天皇)が大友皇子に追われて迷い込んだ大和吉野山中国栖の里、現在の奈良県吉野郡吉野町国栖です。

吉野町内には各地に天武天皇に関わる伝説が残っており、たとえば、天武天皇を地元の老夫婦が船中に匿った場所は「ジジ河原・ババ河原」(吉野川と高野川が合流するあたりの河原)と言われています。そして、天武天皇が祀られている神社が、その名も外ならない浄見原(きよみがはら)神社 です。

神社は、南国栖の吉野川を眼下に見下ろす断崖の上に建てられ、その付近の吉野川は天皇淵と呼ばれています。神社までの道は、天皇淵と山の間のわずかな道幅しかなく、その細道を5分ほど歩くと突き当たりに、岩肌に張り付くようにして作られた石段があり、その上に鳥居と社殿が見えます。天武天皇が祀られている祠を遠目に拝していると、自然そのままの光景にまるで古代の神話の中にいるような心持ちになります。

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浄見原神社の崖下を流れる吉野川は天皇淵と呼ばれている

「国栖」の曲中、天武天皇が召し上がった鮎の片身が再び生き返り、清流を泳ぐ場面が出てきますが、神社の崖下の天皇淵がこの場所に当たるのかもしれないと想像されるほどに、吉野川は神秘的な碧さを湛えていました。

浄見原神社では、天武天皇が吉野で挙兵した際に歌舞を奉じたと伝えられていることから、毎年旧正月14日には国栖奏と呼ばれる古式ゆかしい古舞が奉納されます。神前には栗・一夜酒・ウグイ・根芹・赤蛙などの珍味が供えられ、12人の男性(舞翁2人、笛翁4人、鼓翁1人、歌翁5人)が神官に導かれて舞殿に登場し、朗々とした歌翁の謡、笛と鼓の演奏に合わせて、鈴とサカキを持った舞翁が古式ゆかしく舞います。

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古代の息吹が感じられる素朴な国栖奏(写真:澤戢三

「吉野天人」の舞台

約1カ月間にわたって桜が楽しめる春の吉野山

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吉野山の中千本エリアから眺めた満開の桜

能「吉野天人」は、都人が連れ立って春の吉野山を訪れる場面から始まります。そこに、花を友として暮らしているという女が現れ、自分は天人であると明かし、今夜この花のもとに旅寝すれば五節の舞を見せようと告げて姿を消します。やがて天空から舞い降りた天人は花に戯れるかのように美しく舞い、曲は終わりを迎えます。

曲中、舞台正面に置かれる桜の立木に象徴されるように、「吉野天人」の舞台は全編、桜が満開の吉野山です。

吉野山の桜は、毎年4月上旬になると麓の下千本と呼ばれるエリアから咲き始め、吉水神社がある中千本へ、そして下千本が葉桜になる頃、吉野水分(みくまり)神社がある上千本が満開になります。さらに、金峯神社から西行庵がある奥千本は4月下旬から5月初旬に満開となり、吉野山は約1カ月間にわたって桜が楽しめます。

満開の桜の中に、吉野天人の面影を追いながら、吉野山の寺社を巡ってみましょう。

「二人静」の舞台

静御前の哀しみの足跡をいまも残す勝手神社と吉水神社

能「二人静」は、静御前の霊が吉野の菜摘み女にのりうつり、義経を恋慕する舞を舞うと、静自身もそばに付き添って舞い、二人の静が舞を見せるという珍しい構想の曲です。

この演目の舞台は、菜摘み女が静御前の霊のことを神職に告げ、宝蔵に納められていた舞装束を身につけ舞う場所、金峯山寺蔵王堂近くにある勝手神社です。

現在、社殿は焼失してしまいましたが、境内には、義経と別れた静御前が追手に捕まって連れて来られ、請われて舞を舞ったという「舞塚」が残されています。

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吉野山に逃れてきた義経一行が隠れ住んだという吉水神社

また、勝手神社近くにある吉水神社は、兄の頼朝に追われた義経が静御前と弁慶らと身を隠した場所とされ、書院内に「義経・静御前 潜居の間」が残されているほか、「義経の鎧」(重要文化財)など義経所縁の数々の品が拝観できます。

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義経・静御前 潜居の間。ここが静御前と義経が最後に過ごした場所と言われている
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境内には、弁慶が力試しに二本の釘を親指で石へ押し込んだと伝えられる「弁慶の力釘」もあり、確かに石には2本の釘頭を確認することができた

吉水神社は、約1300年前に金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)として建てられたとされ、日本最古の書院建築として世界遺産にも登録されています。義経と静御前の足跡のほかにも、南北朝時代に後醍醐天皇の行宮になったこと、豊臣秀吉が花見の本陣としたことなど数多くの歴史的逸話で知られています。

映画・ドラマ・アニメの「聖地巡礼」のように能の舞台を訪ねてみましょう

最近では、アニメの舞台となった場所を実際に訪ねることを「聖地巡礼」という言葉で表現されるほどに、映画やドラマ、アニメのロケ地や舞台を巡る旅が人気となっています。能楽でも同じように、その曲の舞台となった地を訪ねてみましょう。

今回紹介した「国栖」「吉野天人」「二人静」の舞台となった吉野の地を巡る旅も、映画やアニメのようにスクリーンに実際の場所が映らない分、より想像を広げて演目の世界を追体験できるだけでなく、現在の姿と重ね合わせながら自分だけの演目の舞台を探せるという魅力もあります。

能の新しい楽しみ方や理解がさらに深まる旅へ、ぜひお出かけください。

 

写真提供(国栖奏、吉野山中千本桜):一般財団法人 奈良県ビジターズビューロー

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