能楽のふるさと・奈良県内にある能舞台や能楽堂から、特色あふれる4つの舞台をセレクトしました!これらの舞台を訪ね、その背景を探る旅へ出かけましょう。
長尾神社 能舞台(奈良市)
室町時代の能面が今に伝わる
長尾神社は、田園風景が美しい奈良市の東部山間部・阪原地区に位置する神社です。正面に拝殿、その奥の一段高い社地に本殿、境内社として右手に御霊(ごりょう)神社、周囲に末社十一社が祀られています。本殿は春日大社本殿を移築したもので、国の重要文化財となっています。
境内中央にある茅葺き屋根の美しい能舞台は、舞台部分が明治時代、橋懸りと楽屋が昭和前期に建てられましたが、神社の社宝として伝わる白色尉(はくしきじょう)・延命冠者などの能面四面はいずれも室町時代の作で、能舞台とともに奈良県文化財の指定を受け、現在は奈良県立美術館で保存されています。
能楽奉納は、いつしかすたれてしまいましたが、今は秋祭りに神拝(ジンパイ)と角力(スモウ)と呼ばれるユニークな所作が特徴の神事が演じられています。神拝は両手を広げてバタフライのように大きく振りかぶって拝します。また、角力はふんどし姿になり、両手で尻を叩きながら後方に進むなど滑稽な所作が笑いを誘います。
三輪山会館 能楽堂(桜井市)
各流儀の公演も行われる本格的な舞台
三輪山会館 能楽堂は、日本で最古の神社と言われる大神(おおみわ)神社に2019年に完成した三輪山会館内にあります。
会館の南側半分を占める能楽堂は351席が配置され、橋懸りをはじめ、銅板葺きの屋根と千鳥破風(ちどりはふ、屋根の斜面に設けた三角形の装飾)も備えた格調ある造りで、鏡板の老松は日本画の大家で、文化勲章受章者の前田青邨画伯の作です。
実は大阪の料亭「南地大和屋」の能舞台を移設したもので、2003年に南地大和屋が休業した後、能楽発祥の地でもある奈良がふさわしいと大神神社への奉納が決まり、舞台開きでは観世流、金剛流、金春流の宗家などが4日間にわたり日替わりで出演しました。今や奈良を代表する能楽堂の一つとなっています。
阿紀神社 能舞台(宇陀市)
毎年6月に「あきの蛍能」が上演
奥大和の里にある阿紀神社 能舞台は、毎年6月に行われる「あきの蛍能」で知られています。
プロの能楽師が出演する「あきの螢能」は夜のとばりの中に浮かび上がる能舞台で行われ、クライマックス時に数百匹ものホタルが放たれます。舞台と境内を飛び交う蛍は幻想的な空間を生み出し、見ている人を幽玄の世界へ誘う人気の演能会となっています。
阿紀神社は天照大神をお祀りした由緒ある神社です。境内に残る能舞台は、およそ300年前に宇陀松山藩主の織田長頼公が寄進したもので、寛文年間から始まった薪能は大正時代に一旦途絶えたものの、その後70年間の空白を経て平成4年(1992年)に復活。平成7年からは「あきの蛍能」の名で、宇陀の伝統行事として開催されています。
石打八幡神社 能舞台(奈良市)
月ヶ瀬に建つ古風な農村舞台
梅の名所として知られる月ヶ瀬にある八幡神社 能舞台は「舞堂(まいどう)」とも呼ばれ、入母屋造り・茅葺き屋根のシンプルな舞台。柱の面取り(角を削ること)が大きい点が古風で、素朴な農村舞台の姿を伝えています。
平成10年(1998年)の台風7号で倒壊し、復旧されましたが、その際に梁から墨書が見つかったことから、江戸後期の1761年(宝暦11年)に創建されたことが判明しました。また、江戸時代の宮文書に村人たちが能楽を演じたという記述が残っています。
近年では、地域の青年団の芝居や巡回映画に使用されたり、平成19年(2007年)の20年に一度の造工(ぞうく、大改修のこと)の際には神事奉納とともに様々な演芸が披露されました。
また、奈良市の文化財指定を受けて令和元年(2019年)に屋根の葺き替えが行われ、そのお披露目会として開催された「能舞台に集う夕べ」では、月ヶ瀬で受け継がれている伝統芸能として、地元の人々による翁、狂言、稚児舞い、尾山御殿萬歳(三河萬歳にルーツを持つ郷土芸能)などが披露されました。
奈良の人々の能楽への愛情を感じる能舞台&能楽堂
能楽のふるさと・奈良には、古くから能楽が奉納され、今も地域の人々が集う素朴な神社の能舞台から、近年建てられたばかりのプロの能楽師が舞台に立つ本格的な能楽堂まで、バラエティーあふれる能舞台や能楽堂がありました。しかし、これらに共通するのは、地域の人々に支えられ守られて存在しているということ。奈良の人々の能楽への愛情が感じられる能舞台・能楽堂にぜひ足を運んでみてください。