【青森編】「義経北行伝説」の足跡を追う歴史ロマンあふれる旅へ 後編

平安時代末期、平氏打倒後の源義経は、兄・頼朝と対立し、奥州藤原氏を頼って平泉に落ち延びたものの、頼朝の追及から逃れることができず、自刃したと言われています。この史実に対し、「平泉で自害したのは実は家臣で、義経は北へ逃げ延びたのではないか」という「義経北行伝説」が残っています。事実、岩手県から北海道の各地には、それを裏付けるかのような伝説が数多く伝えられており、義経一行が立ち寄ったり滞在したとされる社寺・屋敷はかなりの数にのぼります。さらには、北海道から樺太、モンゴルへと移動して成吉思汗(チンギス・ハン)と名乗ったという伝説まであります。800年以上の時を越えて、その伝説のルートを辿る壮大な歴史ロマンあふれる旅へご案内しましょう。

前編は岩手県内に残る義経の足跡をご紹介しました。後編では、青森県内に残る義経の足跡をご紹介します。

八戸から佐井村へ

新天地・蝦夷地(北海道)を目指して北上を続けた義経一行

八戸市「熊野神社」

義経一行が海路で北上して上陸したとされる種差海岸からほど近いところにある八戸市の熊野神社。一行はここで休憩したと伝えられています。

八戸市「三嶋神社」

神社周辺には「源治囲内(げんじかこいない)」という地名があり、義経一行を村人がかくまったという伝説が残っています。また、「法官」を苗字に掲げる旧家があり、それは義経が世話になった村人に「今後、判官と名乗るがよい」と申し渡したものの、判官と名乗るのは差し障りがあると法官に改姓したと言われています。

八戸市「館越」

義経一行が八戸で最初に館を構えた地で、1年余り住んだ後、近くの高館に移ったことから「高館に館を引っ越した」ことにちなんで「館越(たてごし)」という地名になったと言われています。

八戸市「小田八幡宮」 

義経一行が高館に住んでいた時、この宮に義経が持参した「毘沙門天像」や、義経一行が写経した「大般若経」を奉納したと言われ、現在も保管されています。また、この一帯は義経が稲の作り方を教え、小さな田を拓いたことから「小田(こだ)」と命名されたという伝説も残っています。

八戸市「長者山新羅神社」
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長者山新羅神社では、8月2日に全国に3例しか現存しない貴重な騎馬打毬(きばだきゅう)の一つ「加賀美流騎馬打毬」が行われる

平泉にいた義経の命を受けた家臣の板橋長治がこの地に先行し、義経一行の隠れ家を用意するため芝や樹木を植えて人が入らないようにした地で、昔は長治山と呼ばれていたと伝えられています。

八戸市「おがみ神社」
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おがみ神社は八戸三社大祭発祥の神社としても知られる

義経の正妻が埋葬された地とされ、正妻が愛用していたという言い伝えのある青銅製の手鏡や、八戸での義経北行伝説が記された「類家稲荷大明神縁起(るいけいなりだいみょうじんえんぎ)」を所蔵しています。

南部町「法光寺」
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木造の三重の塔としては国内最大級の承陽塔が境内に建つ法光寺

弁慶が投宿した際、礼状を送ったとされ、境内には弁慶の力石もあります。

外ヶ浜町「龍馬山義経寺」「厩石」
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津軽半島最北端の三厩地区に津軽海峡を見下ろすように建つ龍馬山義経寺

龍馬山義経寺(りゅうばさんぎけいじ)には、次のような伝説が残されています。
義経一行は、蝦夷地に渡ろうとしてこの地にたどり着きますが、津軽海峡の荒れ狂う海を前に足止めを食らってしまいます。そこで、義経は海岸の奇岩上に座し、守り仏の観音像を掲げて三日三晩祈ると仙人が現れ、三頭の龍馬を与えられて穏やかになった海峡を渡ることができたというものです。三頭の龍馬がつながれていた奇岩は厩石(まやいし)と呼ばれ現在は観光地となり、このあたりの地名の三厩(みんまや)は三馬屋(みうまや)に由来すると言われています。
さらに1667年(寛文7年)、この地を訪れた円空上人が厩石で義経の守り仏だった観音像を見つけ、流木で仏像を彫りその中に観音像を納め、小さな堂を建てて祀りました。その堂が龍馬山義経寺となったとされています。仏像は円空仏と言われ、現在も秘仏として寺に安置されています。

佐井村「仏ヶ浦」
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透明度の高いエメラルドグリーンの海と、象牙色にたたずむ奇岩の群れのコントラストが美しい仏ヶ浦

仏ヶ浦は、下北半島を代表する景勝地で海岸沿いに2kmにわたって白緑色の奇岩の数々が連なります。義経はこの浜から蝦夷地に橋を架けて渡ろうとして多くの材木を牛に運ばせましたが、牛が疲れ果て倒れてしまい橋を架けることができず、その材木がすべて石となってしまったという伝説が残されています。仏ヶ浦には、その伝説にちなんで命名されたという「材木石」「牛滝」などが存在しています。

岩手・平泉から青森までほぼ1本でつながる義経北行伝説ルート

【岩手編】と【青森編】でご紹介した義経一行の足跡は30余りですが、場所や逸話が曖昧なものは除いたので、実際にはこの倍以上の足跡が残されています。こんなにも多くの「証拠」を目にすると、義経北行伝説は夢や幻ではなく真実とも思えてきて、さらに歴史ロマンが広がります。

上記にご紹介した足跡をGoogleマップにしましたので、ぜひご覧ください。岩手・平泉から青森・仏ヶ浦まで、ほぼ1本につながるルートを見ていると、蝦夷地に渡り、さらに北へと歩を進める義経一行の姿が目に浮かんでくることでしょう。

 

 

参考サイト:義経北行伝説ドライブガイド「義経は北へ」

写真協力:青森県観光情報サイト・Amazing AOMORI

 

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