佐渡に能楽文化が花開いたのは江戸時代。佐渡奉行所の役人たちの教養だった能楽が、神事能として次第に村の重立衆(有力者)や町の商人に広がっていきました。当時の街並みの面影を今に残すのが、相川地区の京町通りと、南佐渡地区の宿根木(しゅくねぎ)です。
現在、“小江戸”の風情を残す散策スポットとして埼玉県の川越が人気を集めていますが、佐渡の京町通りと宿根木も、車を降りて街歩きを楽しみたい観光地といえるでしょう。
金山の隆盛とともに栄えた鉱山町の繁華街・京町通り【相川地区】
京町通りは、金山が栄えた江戸時代初期の繁華街で、佐渡奉行所と金山を結ぶ全長約1.7kmのメインストリートです。その名前は、京都や大阪から仕入れた絹布類を売る呉服屋が並んでいたことに由来します。
当時は、各地から移り住んだ鉱山関係者の住居や多くの商店が軒を並べ、三階建の家まであったといいます。
京町通りは時代を経た現在でも、趣ある景観が残されており、国の重要文化的景観に指定されています。
京町通りを代表する歴史情緒あふれるスポットが、旧相川裁判所のレンガ塀と、江戸時代に時を告げていた「時鐘楼(じしょうろう)」です。
「時鐘」は1712年(正徳三年)に佐渡の出銅で鋳造され、約200年にわたって相川の町に時刻を知らせてきたのち中断していましたが、近年になって再び朝夕の二回、人の手で撞かれています。
時鐘楼のある下京町から中京町、上京町へと坂道を上っていくと、板塀や連子窓(細長い木材を縦または横に連ねた連子をはめ込んだ窓)の家や、細い路地が随所に見られ、往時の都市計画の名残を留めています。
毎年6月初旬に行われる「京町音頭流し 宵乃舞」は、京町通りを象徴するイベントで、多くの見物客が集まります。かつて商家が立ち並んだ歴史の道を雪洞(ぼんぼり)の淡い灯りが照らし、佐渡内外の参加団体が「相川音頭」で優雅に踊り流します。それぞれの流しは、すべて生で演奏され、哀調を帯びた唄声とともに踊り手が進んで行きます。
佐渡の6月は、能月間で多くの演能も行われるので、能楽鑑賞にあわせて宵乃舞を楽しむのもおすすめです。
廻船業で栄えた江戸時代の面影を今に伝える宿根木【南佐渡地区】
宿根木は、金山が栄えた17世紀を経て、江戸後期から明治初期にかけて北前船の寄港地として発展した小木海岸の入り江の集落です。
入り江の限られた敷地に多くの民家が建ち並ぶ街並みは、独自の板壁の連続で、船板をはめ込んだ民家や石畳の露路など当時の面影をそのままに残しています。
外壁に船板や船釘などが使われた伝統的な建造物が100棟以上あり、ほぼすべて総二階造り。船大工が作り上げたノスタルジックな街並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。
宿根木散策のおすすめコースの出発地は「佐渡国小木民俗博物館・千石船展示館」から。
大正9年に建てられた旧宿根木小学校の木造校舎を利用した館内には、南佐渡の漁業用具から昭和レトロな日用品まで民俗資料約3万点のほか、1858年(安政五年)に宿根木で建造された千石船を当時の板図をもとに復元した「白山丸」が展示され、船内も見学できます。
千石船を見学したあとは、宿根木集落を一望できる坂の上の眺望ポイントへ。
薄く割った板を何枚も重ね、その上に石を置いた、宿根木独自の「石置木羽(こば)葺屋根」の街並みを眺めることができます。
宿根木集落を一望したら、坂を降りて、いよいよ街並み散策へ。
現在、民家3棟が公開(有料)されており、 そのうちの一つが、吉永小百合さんが登場するJR東日本のCMやポスターの撮影場所として有名な「三角家(さんかくや)」です。狭い路地の形状に合わせて三角形に建てられた家で、建物の形から舟形の家とも呼ばれています。船大工が最大限に土地利用を図った知恵と技が見られます。
集落の中には、北前船の船頭の古民家をそのまま利用した1日1組限定の宿泊施設「一客一亭の御宿 伊三郎」や、納屋を改装した古民家カフェ「茶房やました」など、宿根木の雰囲気を活かした宿泊処や食事処もあります。
当時、村の重立衆や町の商人によって盛んに能楽が舞われ、謡が聞こえただろう京町通りと宿根木。そんな光景を想像しながら、街歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか。