能楽のふるさと・奈良に想う~大倉源次郎インタビュー

能楽のふるさと・奈良に、能楽師の先生たちは、どのような思いを抱いているのでしょうか?

奈良とは不思議なご縁で結ばれ、奈良での多数の公演のほか、子どもたちへの能楽体験などにも協力している小鼓方大倉流十六世宗家の大倉源次郎先生に、奈良における貴重なエピソードから、奈良の魅力、想いなどをお伺いしました。

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奈良は囃子のふるさとでもある

――最初に、先生の奈良とのご縁、関わりから教えてください。

大倉:奈良に古いお墓があるので墓参りに年数回訪れているうちに、不思議なご縁が広がっていきました。その一つが、多武峰談山(とうのみねたんざん)神社での女内蔵折居(めくらおりい)作の鼓胴との出会いでした。

談山神社は、能楽を大成した観阿弥・世阿弥が本拠地としていた神社。1987年(昭和62年)に初めて訪れた際に、神社に伝わる鼓胴を見せていただいたところ、私が父から譲り受け持参したものと同じ、女内蔵折居の作だったので驚きました。女内蔵折居は、安土桃山時代の名工で、大倉流ではその小鼓を主に使っていたからです。

形も同じで、おそらく同時期に作られたもので、約400年ぶりに兄弟の鼓胴が再会したわけです。それも木地のままの状態で、女内蔵折居の手の感触が残っているように感じられて、早速、皮を合わせて打たせていただきましたが、感動もひとしおでした。

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先生の祖父も父も愛用していたという女内蔵折居作の鼓胴

これをきっかけに、談山神社では「鼓魂(こだま)の会」と題した鼓の演奏会が開かれました。さらに2010年(平成22年)に哲学者の故・梅原猛さんが神社所有の摩多羅(またら)神面と対面する場面に居合わせたことをきっかけに、奉納公演「談山能」を10年ほどご奉仕させて頂きました。

奈良には、至るところに能楽の足跡があります。

談山神社から奈良盆地に流れる寺川流域は、現在のシテ方流儀の源流となる大和猿楽四座の発祥地と重なる地で能楽とゆかりの深い場所です。鎌倉から室町期にかけて鼓の産地だった下居(おりい)村も、談山神社の麓、今の桜井市の南にありました。桜井という名前の通り、鼓胴の原料となる桜の木が多かったからです。女内蔵折居もこの地で生まれました。室町期の田植え風景を描いた絵などから、鼓は田植えをするときに囃す楽器としても使われていたことがわかっています。それがやがて能楽の囃子に発展していったのでしょう。楽器面から見ても、奈良は能楽のふるさとなんですね。

大淀町が展開する能楽プログラムなど奈良発で広がる能楽の輪

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大淀町の「能楽ワークショップ」に講師として協力、能楽の楽しさを伝える先生

――先生は、奈良県吉野郡大淀町が展開している「能楽プログラム」において、能楽を学ぶ子どもたちで2002(平成14年)年に創座した「ちびっ子桧垣本座」の監修などをされていますが、これはどのような取り組みですか?

大倉:大淀町は、大和猿楽四座とともに活躍していた吉野猿楽の一座「桧垣本(ひがいもと)猿楽」が拠点としていたところで、桧垣本猿楽は囃子方の源流でもあります。そういった縁で、子どもたちに能楽をレクチャーして発表する楽しさを体験してもらったり、大人の皆さんにも能楽に親しみを持ってもらえるような活動のお手伝いをさせていただき、今は能楽協会大阪支部の皆様が指導に行って下さっています。

私たちの世代は、そういった体験の機会がなかったため、鼓に触ったことがない人がものすごく多いんです。鼓を見たり聞いて知ってはいても、鼓をどう構えたらいいのかはわからない。そういうことではいけないと、大淀町とともに能楽に触れていただく取り組みをはじめました。ちびっ子桧垣本座は今では金峯山寺蔵王堂での奉納公演など町内外の公演で活躍するまでに成長し、中には「プロの能楽師を目指したい」という子どもも登場しています。

まずは、子どもたちにかつてここで自分たちのご先祖様が日本の音楽の原型を作っていたことを知ってもらううことが大事で、次に能楽を通して挨拶やお辞儀などから総合的な人間力を養ってもらえたらと思っています。そして何よりも、この活動が続いていくことが大切です。

奈良では、大淀町のほかにも、観世流の発祥地の川西町、金剛流の発祥地の斑鳩町、金春流は田原本町や奈良市と町をあげて能楽の普及に取り組んでいらっしゃいます。奈良発の能楽の輪がどんどん大きく広がっていくことを願います。

中世にタイムスリップできる吉野を舞台とした能「国栖」の魅力

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本サイトの特別番組、能「国栖」の収録で演奏される先生

――本サイト「能楽を旅する~奈良・吉野編」の特別番組として、先生も参加されて収録した能「国栖」は、吉野を舞台とした演目ですが、どのような作品ですか?

大倉:能「国栖」は、古代日本最大の内乱である壬申の乱を題材としたお能です。吉野に逃げ込んだ天武天皇を土地の老夫婦が守るという、これすなわち吉野に住む「国栖」と呼ばれていた先住民が新しい国家造りに協力する物語で、古代日本のドラマチックな一コマが描かれている、たいへん面白い作品です。

演目の舞台である吉野の国栖の里には、今なお各地に天武天皇に関わる伝説が残っていて、土地の人々は「そこに天武天皇が隠れていて、犬に見つかりそうになってね」などと、まるで壬申の乱がきのうのことのように語るんです。古代と直結した生活が今に続いているんですね。だから、吉野に行くと何故か気持ちがホッと安まります。

能「国栖」をぜひご覧いただき、中世にタイムスリップしたり、奈良に魂が飛んでいったような気分を味わっていただきたいですね。そうした古代の生活を思い出させてくれるのも能という芸能の一つの役割であると思います。日本の歴史という側面から、能が果たしてきた役割を考えてみるのも面白いですね。

金峯山寺蔵王堂と能楽に共通する平和へのメッセージ

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金峯山寺蔵王堂において、金剛蔵王権現の前で演奏される先生

――特別番組「国栖」は、金峯山寺蔵王堂で収録されました。奈良で公演される機会も多い先生ですが、能楽のふるさと・奈良で演奏されるときは、どんなお気持ちになりますか?

大倉:奈良での公演は、能楽師としてふるさとへ帰るという安心感とともに、ご先祖様の前で演奏することになりますから、ご先祖様に怒られないかなとか(笑)、逆にようやったなと褒められたいという気持ちもあり、とんでもない緊張感をともないます。
金峯山寺蔵王堂でも何度となく演能していますが、とくにここでは地場のエネルギーみたいなものも感じます。現在の蔵王堂は豊臣秀吉・秀長の支援を受けて再建されたもので、1594年(文禄2年)、秀吉は吉野で花見をします。雨続きの天候に苛立つ秀吉のために僧たちが夜通し祈祷をしたところ、一転して晴れ、盛大な花見が催されたというエピソードが残っていますが、蔵王堂には人を熱中させる、とんでもないエネルギーを感じます。

それには、蔵王堂の秘仏本尊・金剛蔵王権現さまが関係しているのかもしれません。金剛蔵王権現さまは、過去・現在・未来の三体の蔵王権現が同じ姿で祀られています。それは、それぞれ釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩が蔵王権現さまの姿となって仮に現れたもので、過去・現在・未来の三世にわたって人々を救済するという意味が込められています。救済なのに鬼のような形相をしており、「こらっ、争う奴は、俺たちの前で打ちのめすぞ、仲良くせんかい」という表情で立っているんです。

南北朝の騒乱の時代に生きた世阿弥も、平和へのメッセージを書き込んでいる作品を多数作っています。

そう考えると、平和への希求は、奈良で培われてきた哲学であり、それは先人たちが脈々と今に伝えてきた能楽にも通じるものです。
奈良を旅して、能楽に触れて、そういったメッセージをぜひ受け取ってください。そのためにも、能楽のふるさと・奈良における能を大事にしていかなくてはならないと思っています。能楽を式楽として全国に広めた家康が、東照大権現と祀られた事と能楽の故郷を訪ねる意味が繋がります。

 

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大倉源次郎(おおくら・げんじろう)

1957年、大倉流十五世宗家大倉長十郎の次男として大阪に生まれる。

1964年、7歳で「鮎之段」の独鼓で初舞台。1985年、大倉流小鼓方十六世宗家を継承。

2017年、重要無形文化財個人指定(人間国宝)に。

海外公演にも数多く参加。能楽協会理事。