能「国栖」
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壬申の乱を背景にした神話のような能
「国栖(くず)」は、皇位継承をめぐり、天智天皇の弟である大海人皇子(後の清見原[きよみはら]天皇・天武天皇)と、天智天皇の子・大友皇子が争った壬申の乱(672年)を題材とした人気曲です。
壬申の乱で、大海人皇子はいったん身を引いて奈良・吉野に移り、そこで挙兵の準備を進めた後、都(近江大津宮)に攻め上って大友皇子を倒します。その後、飛鳥浄見原宮を都に定めて即位し、天武天皇となりました。
能では、吉野に逃げのびた清見原天皇を土地の老夫婦が家にかくまい、もてなし、慰め、さらには迫る追っ手を機転により追い返すなど、ストーリー性豊かで、見どころの多い構成となっています。
曲名の「国栖」は、吉野山中に住む人々の呼び名で、彼らが住んでいた地域名にもなっていました。古代の素朴な情景が目に浮かび、その世界に浸って楽しめる神話のような能です。
登場人物
- 老人
前シテ(前場の主役)
- 蔵王権現
後シテ(後場の主役)
- 老女
前ツレ(前場のシテの助演者)
- 天女
後ツレ(後場のシテの助演者)
- 清見原天皇(大海人皇子、後の天武天皇)
子方(子役)
- 天皇の臣下
ワキ(シテの相手役)
- 敵の追っ手
アイ(能に登場する狂言の演者)
番組本編
能 観世流「国栖」
前シテ | 観世銕之丞 | 主後見 | 上野朝義 |
---|---|---|---|
後シテ | 大槻文藏 | 後見 | 赤松禎友 |
前ツレ | 観世淳夫 | 地頭 | 上田貴弘 |
後ツレ | 観世喜正 | 地謡 | 井上裕久 |
子方 | 齊藤凛 | 地謡 | 浦田保親 |
ワキ | 福王和幸 | 地謡 | 寺澤幸祐 |
アイ | 野村太一郎 | 地謡 | 齊藤信輔 |
アイ | 中村修一 | 笛 | 杉信太朗 |
小鼓 | 大倉源次郎 | ||
大鼓 | 守家由訓 | ||
太鼓 | 上田悟 |
注目ポイント
本作品は蔵王権現への奉納舞を、総本山金峯山寺のご協力のもと特別番組として収録したものです。演じる前に関係者一同で参拝した後、国宝の蔵王堂内にて、特別ご開帳中であった秘仏・蔵王権現像の御前にて舞いました。能舞台とは異なる配置・演出の能「国栖」をご覧ください。
また、特別番組用の面装束にもご注目ください。今回の面装束は下記の通りです。
- 前シテの老人は尉髪(じょうがみ)という白髪のチョンマゲ様の髪型。腰の蓑は漁師を表します。能面は尉面(じょうめん)という髭のある老人の面です。
- 前ツレの老女は姥(うば)の面。
- 子方の清見原天皇は、冠に垂纓をつけ高貴な身分を表します。
- 後ツレの天女は、小面(こおもて)という若い女性の表情の面。紅い舞衣を着て袖を靡かせながら舞います。扇は天女扇といい、表裏に桜と紅葉が描かれて華やかです。
- 後シテの蔵王権現は、通常は赤頭に紺色の狩衣を纏いますが、今回は「白頭」の演出。装束も白地や銀地の色を用い、霊力と神々しさを増す扮装。面は大飛出(おおとびで)です。
ストーリー解説

大友皇子に追われ、吉野山中に迷い込んだ清見原天皇を老夫婦がかくまう(前場)
大友皇子に追われた清見原天皇(子方)が臣下(ワキ)に伴われ吉野山中に迷い込みます。一行が川沿いの庵で休んでいると、そこに川舟を操り、その庵に住む老人(前シテ)と老女(前ツレ)が帰ってきました。老夫婦は、みすぼらしい我が家の上に現出した不思議な兆しを見て、貴人が来られたのではないかと考えます。
老夫婦が家に入ると、まさに天皇がいらっしゃいます。事情を聞いた老夫婦は、空腹の天皇に国栖魚(鮎)を焼いてもてなします。天皇から鮎の片身を分け与えられた老人は、この鮎で天皇の行く末を占おうと言い、鮎を川に放ちます。すると、鮎はたちまち生き返り、老人は「これこそは都に帰ることを示す吉兆」と天皇を励まします。
そこに敵の追っ手(アイ)がやってきます。老人は舟を伏せて、その中に天皇を隠し、決死の思いで追っ手と渡りあい、追い返すことに成功します。窮地を救われた天皇は、老夫婦にねぎらいの言葉をかけ、老夫婦は感涙にむせび、姿を消します。

蔵王権現が現れ、清見原天皇(天武天皇)の御代の到来を告げる(後場)
夜になると、天女(後ツレ)が現れ、五節の舞を舞うと、吉野山の神々が次々に来臨します。そして最後に、吉野山の守護神である蔵王権現(後シテ)が出現します。
蔵王権現は「王を蔵(かく)した、この山。それこそが、私の霊力なのだ」と、天皇を吉野山に隠して助けたことを示します。
そして、天を指さし、地を踏みしめ、十方世界を飛びまわり、国土と天皇の守護を誓うと、清見原天皇(天武天皇)の御代の到来を告げ、将来を祝福するのでした。
国栖の見どころ・魅力
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登場人物が多く、見どころ満載の曲ですが、大きな見どころは次の三つです。
まずは、老人が天皇から与えられた鮎の片身を川に放すと、生き返る場面。ここは「鮎の段」とも呼ばれ、前シテの老人の動きが鮎の生き生きとした躍動感を表現します。
次に、老人が天皇を舟に隠して追っ手を追い返す場面。作り物の舟をひっくり返してその中に子方を隠した前シテの老人と、アイの追っ手による気迫のこもった問答は前場のクライマックスといえます。
最後は、優美な天女の舞と、それに続く、後シテによる蔵王権現の豪快で力強く、颯爽とした舞とのコントラストが曲を引き立てています。