中尊寺と能楽、そして平泉の魅力〜佐々木多門インタビュー

中尊寺の鎮守である白山神社能舞台で奉納される御神事能(ごじんじのう)は、中尊寺各寺院の僧侶が能の諸役を勤める全国でも唯一の演能です。そのシテ方を代々受け継いでこられた円乗院桜本坊のご出身でいらっしゃるのが佐々木多門先生です。佐々木さんは、父の宗生先生とともに喜多流の能楽師になられました。

御神事能を裏方として支えるとともに、中尊寺薪能に子方(子役)の頃から出演されている佐々木さんに、中尊寺と能楽との関わりについて、そして平泉の魅力についてお話いただきました。

シテ方 喜多流 佐々木多門

 

シテ方 喜多流 佐々木多門

佐々木多門(ささき・たもん)

1972年、シテ方喜多流の佐々木宗生の長男として生まれる。

3歳のとき「鞍馬天狗」の花見役にて初舞台。

喜多流宗家内弟子を経て現在、喜多流職分塩津哲生に師事。

ゆかりのある平泉・白山神社能舞台にて、2001年「猩々乱」、2008年「道成寺」の初シテを勤める。

東京での活動とともに、中尊寺薪能・仙台青葉能・白石碧水園能等、東北の能楽振興に重きをおきながら、

国内外各地の公演に参加。能楽協会会員。

中尊寺の僧侶が能の諸役を勤める全国でも珍しい御神事能

中尊寺御神事能と、佐々木さんとの関わりから教えてください。

佐々木:御神事能は、もとは中尊寺鎮守・白山神社祭礼で行われていた延年や申楽の能を、仙台藩が中尊寺の寺院をまとめるために各院に能の諸役を家職として代々受け継ぐように義務づけたのがはじまりで、江戸時代中期には現在の形式で行われていたようです。以来、中尊寺の各院は、シテ・ワキ・囃子・狂言方をそれぞれ受け継ぎ、仙台藩お抱えの能楽師から稽古を受け、御神事能として白山神社に奉納してきました。

私の実家の円乗院桜本坊はシテ方で、「関山太夫(かんざんだゆう)」と称し、祖父はその十一世でした。現在は叔父が受け継ぎ、御神事能のシテを叔父や従兄弟が勤めています。そして、喜多流職分となった父と私がその稽古を担当し、当日には後見として装束をつけるなどの立ち働きをしています。さらに、祖父の代に、地元の方々で創設した「喜櫻會(きおうかい)」の皆さんが御神事能の地謡を勤めています。喜櫻會は御神事能を護持していくために地元の方々が稽古をして謡や舞を伝承していくことを目的としており、現在は約100人が在籍していますが、こちらの稽古も担当しています。

御神事能は、春の藤原まつりが開催される毎年5月4日と5日に奉納します。初日は古くから伝わる延年の舞(法会後に僧侶が行う歌舞)の「古実式三番(こじつしきさんば)」にはじまり、能「竹生島(ちくぶしま)」を演能します。竹生島は、明治天皇が東北御巡幸の際に御神事能をご覧になった際の天覧能で演じられ、以来、恒例となっています。2日目は春らしい能の演目をお出ししています。

さらに、秋の藤原まつり期間の11月3日には、中尊寺能として秋にふさわしい演目として「枕慈童」や平泉ゆかりの曲「秀衡」などを奉納します。

余談ですが、竹生島は登場人物が多いので、後見としてはたいへんです。作り物を準備して、装束を出演順につけて、中入りになると着替えて、今度は後ツレに天女、そして後シテに龍神の装束をつけてと1年で一番忙しい日ですね(笑)。

御神事能の稽古はどのようにされているのですか?

佐々木:御神事能の3カ月前くらいから、父や私が平泉に出向いてお坊様や喜櫻會の皆さんの稽古をして、あとは前月に申し合わせ(通し稽古)を二度ほど行います。ワキ方や囃子方のお坊様たちもそれぞれ東京の師家に足を運ぶなどして稽古を積んでいます。

御神事能で伝承されている能の演目は20曲ほどあり、それをお坊様たちだけで稽古できるまでに持って行くのが父と私の務めです。お坊様たちは厳しい修行などと並行して20曲を全部覚えるわけですから、たいへんなご苦労です。でも、皆さん、神様に奉納するのにふさわしい芸を継承していきたいという心構えで熱心に稽古に励んでいらっしゃいます。その真摯な姿勢には、むしろこちらが教わることのほうが多いですね。

子方の頃からずっと立ち続けている白山神社能舞台の魅力

白山神社能舞台で行われる演能としては「中尊寺薪能」もありますが、こちらはどのような公演ですか?

佐々木:中尊寺薪能は、シテ方喜多流の能楽師が白山神社に奉演するという形式で父がはじめた公演で、毎年8月14日に開催しています。この2年は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、2019年までに42回を数えています。薪能としては古株となり、今では全国からお客様が来られる全国的な催し物となりました。

中尊寺薪能では、杉木立に囲まれ自然と一体となった能舞台の雰囲気を意識して、シテが女性で幽玄の世界を舞う三番目物や、天狗物のようなスケールの大きな演目を選曲することが多いですね。

私も、幼少の子方(子役)時代からずっとこの能舞台に立ち続けていますが、周囲の老杉に溶け込む様といい茅葺きの屋根の感じといい、神様がいらっしゃる神域といった独特な雰囲気があります。さらに中尊寺のいちばん奥にあるので、必ず境内を通ることになり、その間に自然と心が整う特別な場所です。

私がまだ高校生くらいのときに、野村萬斎さんから「多門くんはね、この舞台を守るために生まれてきたんだよね」と言われたことがありまして、そのときは「えっ、それだけのために生まれてきたの!??」なんて思ったものですが(笑)、今では確かにその通りだなと感じています。

幼少の頃からあの舞台に向かう父の背中を見たり、あの舞台のためにお坊様が稽古に向かう姿を見てきましたから、やはり白山神社能舞台が私の根幹にあり、守り続けていくことが私の役目と思っています。

景清(ツレ)
昭和57年喜多流大演能  景清 ツレ 佐々木多門(子方)

 

本サイト「能楽を旅する 平泉旅」の特別番組として収録した能「吉野静」では、シテの静御前を佐々木さんが勤められ、雪景色の白山神社能舞台で舞っていただきましたが、いかがでしたか?

佐々木:吉野静のシテの静御前は、舞囃子では舞ったことがありましたが、能としてははじめて勤めさせていただきました。

吉野静は、平泉とゆかりのある義経物の演目ですし、吉野山で義経と別れた静御前が鶴岡八幡宮の社前で舞ったときの歌「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」から雪のイメージがありますので、雪景色の白山神社能舞台とは最適な組み合わせだと思います。私自身も映像の出来上がりを楽しみにしています。

吉野静
雪景色の白山神社能舞台で吉野静のシテ・静御前を勤める

 

平泉の文化の一つとしても能楽の伝承を!

教育
平泉の学校で能楽の特別授業を担当

佐々木さんは、平泉の学校で能楽の特別授業なども担当されていますが、平泉における能楽振興についてはどのように考えられていますか?

佐々木:平泉には金色堂などの有形文化財が悠久として残っていますが、それとともに目には見えずとも人々がずっと大事に受け継いできた無形文化財の一つが御神事能ですから、その能楽を次の時代に伝えていきたいという思いで、平泉の学校に毎年出向いて能楽を教えています。また、喜櫻會の方が講師となり幼稚園の園児に謡を教えています。

幼稚園での謡の稽古は、10年ほど前から町が子どもたちに地元の伝統を学んでもらおうとはじめたもので、今や毎年の恒例行事として定着しています。園児たちは、謡を意味として捉えることなく身体で覚えますからスッと覚えて暗唱できるようになります。そうして「みんなで謡うと楽しい」という思いが残れば、能楽に対する距離が縮まり、大人になったら町の財産として能楽を守っていこうという気持ちになってくれるのではないかという思いがあります。

平泉の子どもたちには、平泉の文化を生活の中で体験しつつ、今後世界に出て行ったときに、自分たちの文化についてしっかり紹介できるような「世界人」になってほしいと期待しています。

平泉の人々の誇りや営みを感じられる旅を

最後に、平泉の魅力やおすすめの観光地をご紹介ください。

佐々木:平泉の観光に中尊寺と毛越寺は欠かせませんが、金色堂で拝んだら次は毛越寺というような早歩きの旅ではなく、平泉の人々に触れる機会をつくり、人々の営みを感じていただけるような旅にしていただけたらと願います。

平泉の人々にとって、中尊寺と毛越寺はもとより、義経や能楽などの文化も大きな誇りです。たとえば「俺は高館義経堂(義経の住まいがあったとされる場所)の麓に住んでいる」「私は御神事能という神様のお祭りに参加している」などという言葉の端はしから感じられます。そして、地区の結束が非常に強くて、お互いに協力し合って伝統文化を継承している、そういう平泉の人々の気概なども感じていただけたらきっと充実した旅になる、と思います。

平泉に来られた際、ぜひご覧になっていただきたいのが、白山神社能舞台のすぐに近くにあるカフェ&レストラン「かんざん亭」からの眺めです。かんざん亭から衣川村があった方向を眺めると、天気の良い日には秋田県境の焼石岳を見られます。それが、まさに雪を被った「白山」なんです。きっと、昔の人たちは、白山が眺められる場所を計算して白山神社を建てたのでしょう。

ぜひ私の大好きな焼石岳の雪景色の美しさに出会っていただけたらと思います。

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白山神社能舞台隣のカフェ&レストラン「かんざん亭」テラスより焼石岳(やけいしだけ)を望む

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