嚴島神社には海上に建てられていることで有名な能舞台があります。
嚴島神社そのものの歴史は、もちろん能楽の成立よりもはるかに古く、社伝によると推古天皇元年(593)に当地の有力豪族・佐伯部(さえきべ)の有力者であった佐伯鞍職(さえきのくらもと)が、神託を受けて現在の地に創建したとされています。現在の規模に社殿を整備した平清盛による修造(1168)から数えても、能楽が成立したとされる室町期までなお二百数十年の隔たりがあります。
嚴島神社と能楽との関係は、一体いつどのようにはじまって現在にいたるのでしょうか?本記事では嚴島神社 能舞台を中心した歴史をたどります。
能舞台の特徴 笛柱と橋掛りが独立して建てられた珍しい舞台
最初に嚴島神社 能舞台の特徴について紹介しましょう。
切妻造りの檜皮葺きで、日本で唯一、海上に建てられた能舞台は、橋掛りと楽屋とともに国の重要文化財です。
独立して建てられた笛柱(本舞台の四隅の柱のうち、舞台に向かって右手奥にある柱。笛方の座る場所の近くの柱)と、本舞台から後方に大きく角度を付けて設けられた橋掛りが外観上の大きな特徴です。
通常の笛柱は切戸口(右手側面の奥にあるくぐり戸)側壁面の柱を兼ねるので、独立しているのは珍しいです。たとえば東京都内の能楽堂では靖国神社能楽堂と喜多能楽堂でしか見られない形式です。
橋掛りは、本舞台に対して90度から100度の角度で付けられることがほとんどですが、嚴島神社 能舞台は約135度もの角度で設置されています。
そして、海上に建てられていることから舞台正面にある階(きざはし=本舞台の正面につけられた階段)も外されています。
実際に嚴島神社に参詣された際は、他の能舞台とは違う、こうした外観の特徴に、ぜひ注目ください。
仮設能舞台時代 室町時代末期から江戸時代はじめまで
嚴島神社で演能の記録が確認できるのは、戦国武将として名高い毛利元就による奉納上演です。たびたび演能が行われ、永禄11年(1568)には、観世大夫を招いて八番の演能があったことが記録されています。
この当時の舞台について詳しくはわかりませんが「江の中にて舞台をはらせ」と記録にあるので、おそらく海中に仮設された舞台であったことがうかがえます。嚴島の神様への奉納上演ですから、やはり現在の舞台と同じような場所に設えられたものと想像できます。
毛利元就は安芸国(あきのくに、現在の広島県西部)を領地とした武将でした。能の奉納のみならず、社殿の修復や御本社本殿や大鳥居の建て替えなども行っており、嚴島神社とは大変深い関わりのある人物です。
常設された能舞台 福島正則から浅野家による治世
関ヶ原の戦いのあと、安芸国と備後国(びんごのくに、現在の広島県東部)の半分を領有した広島藩の藩主として福島正則が入城します。
常設の能舞台はこの福島正則の手によって慶長10年(1605)に建設されました。ただ、この能舞台は50年ほどで腐朽してしまいます。
現在に残されている能舞台は、その後の延宝8年(1680)にあらたに広島藩主となった浅野家の第四代藩主・浅野綱長によって造立されたものです。
平成時代 台風被害による倒壊から復旧へ
嚴島神社は建物のほとんどが海の上に建てられているため、台風や高潮などでたび重なる被害に遭ってきました。しかしそのたびごとに修繕、修復をくり返し、現在まで壮麗な社殿の姿を保ってきました。
それでもなお人知を超えて災害は襲ってくるものです。近年ですと平成3年(1991)に発生した台風19号により、能舞台から橋掛り、楽屋が倒壊するという甚大な被害を受けました。
現在の能舞台は、平成6年(1994)に古材を残して元の姿に復旧されました。
嚴島神社、演能の現在 桃花祭御神能
毛利元就による奉納以降、嚴島神社では折々に演能が催されてきました。江戸時代に入ると能楽が幕府の式楽に制定されたこともあり、能楽は嚴島神社の祭礼の一環として位置づけられるようになりました。
祭礼に当たって、神仏へ奉納する芸能の形式を今に伝えるのが「桃花祭御神能(とうかさいごしんのう)」です。“桃花祭”は嚴島神社の春の例祭で、明治時代の改暦に合わせて4月に開催されるようになりました。
現在の桃花祭御神能は毎年4月の16・17・18日に行われ、3日間ともに江戸時代の正式な演能形式である「五番立て」で上演される国内最大の奉納演能です。現在では初日と三日目を喜多流、二日目を観世流が勤める慣例となっています。狂言は三日間とも大蔵流が担当します。
しかも初日と二日目については「翁付五番立て」の番組構成です。朝9時から夕方4時過ぎまで、粛々と能・狂言が演じられる様子は「江戸時代の演能もこんなふうだったのだろうか」と、浮世を離れてタイムスリップしたような気持ちにさせられます。
この御神能はプロの能楽師とお弟子さんなどの能楽愛好者が入り混じった形で行われるのも特徴です。曲によって、おもに出演するシテ方能楽師のお弟子さんたちが地謡に入ったり、シテを勤めたりして奉納に参加します。狂言も三日間で相応の番数が出ますが、お弟子さんたちが活躍しています。
祭礼の期間中は、能舞台対面の廻廊を拡張する形で桟敷が仮設されます。桟敷の雰囲気は大変のどかなもので、弁当や飲み物を販売する小さな茶店も出ます。
桃花祭御神能は「芸能の本来の姿、伝承のあり方」を今に伝える貴重な催しと言えます。能楽と嚴島神社の文化継承を応援する意味でも、ぜひともこの桃花祭に足を運んでいただければと思います。
写真提供/広島県