能の演目の舞台となった地を巡る旅は、「吉野編」に続き、今回は、能「春日龍神」「野守」「采女」の舞台となる奈良公園をのんびり歩きます。

「春日龍神」の舞台

「春日若宮おん祭り」で今もなお原初の猿楽が奉納される春日大社

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寄進された多くの灯籠に囲まれる春日大社の本殿

能「春日龍神」は、明恵(みょうえ)上人(鎌倉前期の僧)が、仏教修行のため唐(中国)へ渡ることを決意して暇乞いのために春日明神へ行くと、宮守の老人に出会う場面から始まります。 老人は、まことの仏蹟は日本にあると言って唐へ渡ることを引き止め、立ち去ります。やがて、春日野は金色に輝き、龍神が現れ、上人が唐行きを思いとどまったことを確かめると、猿沢池に姿を消します。
春日明神とは春日大社のことで、この壮大な曲の舞台は、世界遺産にも登録されている春日大社です。

能楽のルーツと言われる大和猿楽四座が参勤していた春日大社では、当時から続く「春日若宮おん祭り」で今も原初の猿楽が催されています。猿楽が奉納されるのは毎年12月17日で、その舞台となるのは二つの場所。

一つは、一之鳥居のすぐそばにある「影向(ようごう)の松」。ここでは「松の下式」という儀式で、猿楽や田楽の一節や舞が披露されます。かつて、影向の松には、能舞台の鏡板に描かれている「老松」のルーツと言われる古いクロマツの巨木が立っていました。しかし、1995年に枯れたため、現在は巨大な切り株の横に後継樹の若木が植えられています。また、ここには、春日大明神が翁の姿で降臨し、万歳楽(まんざいらく、唐楽のめでたい曲)を舞ったという説も残されています。

もう一つは、一之鳥居と二之鳥居の間、参道沿いにある「御旅所(おたびしょ)」です。ここの芝舞台がおん祭の中心となる神事「御旅所祭」の会場で、様々な猿楽が夜遅くまで奉納されます。ちなみに、ここの芝舞台が「芝居」という言葉の語源となったとも言われています。

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藤の名所としても知られる春日大社。見頃はゴールデンウィーク前後(写真提供:一般財団法人 奈良県ビジターズビューロー)

春日大社の境内には、朱塗りのあでやかな社殿が立ち、古来より藤の名所としても有名です。国宝殿には、平安時代に貴族から奉納された神宝など、国宝352点を含む約3000点が収蔵・公開されています。また、境内には、様々な形の釣燈籠、石燈籠があり、毎年2月節分の日と8月14・15日にすべての燈籠に火を入れる「万燈籠」の神事が行われ、その幻想的な美しさに、多くの参拝客が訪れます。

「野守」の舞台

かつて王朝貴族たちが鷹狩りを楽しんだ飛火野

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神の使いとされる鹿がのんびり群れ遊ぶ飛火野

能「野守(のもり)」は、「新古今和歌集」の「はし鷹の野守の鏡得てしがな 思ひ思はずよそながら見む」(はし鷹の野守の鏡が欲しい。恋い慕う人が自分のことを思っているかどうか、鏡に映してほしい)という和歌に構想を得て世阿弥が作った作品とされています。

物語の舞台は、御蓋山(みかさやま)の麓に広がる春日野。羽黒山の山伏が鏡のように美しい池に見とれていると、野守(野の番人)の老人が現れ、「野守の姿を映すその池は“野守の鏡”と呼ばれるが、真の野守の鏡は鬼が持っている」と語ります。続けて「『はし鷹の野守の鏡』の古歌に詠まれたのはこの池のことで、帝が鷹狩りの際、見失った鷹の姿が水面に映ったのだ」と教えます。山伏が鬼の持つ鏡を見たがると、老人は塚の中に姿を消します。日が暮れ、山伏が塚に向かって祈っていると、鬼が鏡を持って現れ、天上天下すべてを映すという不思議な鏡を山伏に見せ、また地獄へと帰って行きます。

この曲の舞台である春日野とは、現在の奈良公園にある飛火野(とぶひの)のことで、春日大社の一之鳥居と表参道を通り過ぎたあたり、春日大社の神の使いとされる鹿がのんびり群れ遊ぶ広大な芝生エリアです。

万葉の昔、ここは王朝貴族たちが鷹狩りを楽しんだところで、野守の老人が姿を映したであろう鏡池があるほか、近くの氷室神社には、帝が見失った鷹がその水面に映ったという「鷹乃井」と呼ばれる井戸が今も残っています。

「采女」の舞台

興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る美しい猿沢池

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興福寺南大門前にある、周囲360メートルの猿沢池

采女(うねめ)とは、帝の側近くに仕える女官のことで、能「采女」は「大和物語」などに記されている、猿沢池に入水した采女伝説や、「古今和歌集」の古歌など多くの題材を取り入れた作品です。

物語は、旅の僧が春日明神に参詣すると、木を植えている若い女が僧を猿沢池に導きます。 女は、ここは昔、帝の愛を失った采女が身投げをしたところで、自分はその幽霊だと告げて、池に姿を消します。 僧が弔っていると采女の霊が現れ、昔の栄華を語り、帝との楽しかった宴を思い出して舞を舞い、再び池の底へと消えていきます。

この曲の舞台は、興福寺南大門前にある猿沢池です。かつて興福寺の放生池(捕らえた魚類などを放してやるために設けた池)だった猿沢池は、周囲360mの小さな池ですが、興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景は美しく、奈良八景の一つに数えられています。

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采女の供養塔である九重の塔。その正面にあるのが采女地蔵。右側の石碑が衣掛け柳の碑

池の東側には、采女の供養塔である九重の塔と、采女地蔵、そして采女が身投げをしたときに衣を掛けた柳があったとされる場所に衣掛け柳の碑が建っています。さらに、池のほとりには、春日大社の末社である釆女神社があります。洞(ほこら)が鳥居と反対側を向いているのは、采女を祀ったところ、一夜のうちに池に背を向けてしまったという伝説によるものです。

毎年、中秋の名月には、采女の霊を鎮める例祭「采女祭」が行われ、花扇の奉納などが催されます。また、この日、釆女神社の前で月明かりのもと、赤い糸を縫針に通すと願いが叶うと伝えられており、当日に限り、授与所で「糸占い」を授かることができます。

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洞が鳥居と反対側を向いている采女神社

古都・奈良の顔でもある奈良公園を満喫できる今回の旅

今回ご紹介した春日大社、飛火野、猿沢池は、いずれも古都・奈良の顔と称される奈良公園内にあります。春日大社の本殿から、飛火野を経由して猿沢池までは約2km、徒歩で約20分の道のりです。

木々に映える堂塔伽藍、若草に萌える芝生、鹿の群れ遊ぶ風情などを楽しみながら、のんびりゆったり、各演目の舞台を巡りましょう。

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