能「淡路」は、イザナギ、イザナミ男女一対の神々による日本の「国生み神話」を元にした曲です。この「国生み神話」は「古事記」と「日本書紀」、いわゆる「記紀」に記されています。

なぜ、淡路島が「記紀」の冒頭を飾る「国生み神話」の舞台とされたのでしょうか。淡路島に伝わる「国生み神話」と、淡路島で発見された弥生時代の「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」の関係について紐解いていきましょう。

 

淡路島に伝わる「国生み神話」と古代の遺跡

「古事記」「日本書紀」この二つは奈良時代に編纂された歴史書ですが、どちらの書も冒頭は神話そのものです。日本人の祖先は「天地のはじまりや国土の創造は神々のなした御業(みわざ)であり、記録の残されていない時代の世の中はそういった神々が治めていた」と考えていました。

神々が治め、活動をしていた人の世に先立つ時代のことを「神代(かみよ/じんだい)」と言います。「記紀」では初代の天皇である神武天皇以前の時代のことを指します。

「記紀」を直接読んだことがなくても「イザナギ、イザナミによる国生み」「アマテラスの岩戸隠れ」「スサノオのヤマタノオロチ退治」「因幡の白兎の物語」などはどこかで聞いたことはないでしょうか?これらはすべて「記紀」に記されている物語です。これらの物語のうち、アマテラスの岩戸隠れは「絵馬」、ヤマタノオロチ退治は「大蛇(おろち)」という能の演目にもなっています。

現代の感覚からすると、海をかき混ぜて島が生まれたり大蛇が出てきたりと、神話の内容は荒唐無稽なもののように思われますが、こうした“神代の物語”はどのようにして生まれたのでしょうか。

幸いにも現代では、考古学や地質学といった科学的手法によって“神代の昔“に迫る研究が行われ、少しずつ当時の様子が解明されつつあります。
淡路島で発見された弥生時代の遺跡「五斗長垣内遺跡」が、その一つのヒントになるはずです。

五斗長垣内遺跡 日本最大規模の鉄器生産集落遺跡

五斗長垣内遺跡は、播磨灘が望める丘陵地にあるムラの遺跡です。2004年の台風被害の復旧工事に伴う発掘調査の際、農地だったところから弥生時代後期のものとされる建物跡や出土品が多数発見されました。

特筆すべきは、竪穴建物23棟のうち、12棟で鉄器を生産するための炉の跡が発見されたことで、このことから五斗長垣内遺跡は鉄器生産に特化した集落だったということがわかりました。

出土品の内容や点数からこのムラが活動していたのは紀元2世紀頃からおよそ100数十年に及ぶと考えられ、弥生時代の鉄器生産遺跡としては最大規模のものです。こうした稀少性から、2012年に国の史跡に指定されました。

五斗長垣(ごっさかいと)内遺跡
淡路島で発見された弥生時代の五斗長垣内遺跡
竪穴建物
五斗長垣内遺跡で復元された竪穴建物。竪穴建物の多くで鉄器を生産するための炉の跡が発見された

王権と結びついた海の民「海人」の存在

鉄製品
五斗長垣内遺跡では、出土された鉄製品なども展示されている

五斗長垣内遺跡で当時暮らしていたのは、淡路島に古来より住み着いていたとされる「海人(あま)」と呼ばれる人々でした。彼らは朝鮮半島へ渡れるほどの高い航海術を持ち、交易、漁業、製塩、海上の警備や軍事などで活躍した海の民です。朝鮮半島経由で移入された鉄器、青銅器などの金属生産、加工も担っていたと考えられます。

海人族は、こうした高い専門的な職能でもって、天皇や有力な豪族とのつながりを強めていきます。歴史は弥生時代から古墳時代へ、日本に天皇を中心とした王権、“国”が生まれつつある時代でした

古代日本にとって特別な地「御食国」

イカナゴ漁
御食国として海山の幸が豊富な淡路島。写真は春の風物詩・イカナゴ漁

海人族の朝廷や皇室との深いつながりは、後に淡路島が「御食国(みけつくに)」と呼ばれるようになったことからもうかがいしれます。「御食(みけ)」は「御饌」とも書かれ、神様へのお供え物、また天皇が召し上がる食事の食材のことです。「御食国」の単語の意味としては「御食の国」、つまり皇室や朝廷に食料を献上する国ということです。

淡路島からは主に塩や海産物が献上され、名声を博していたそうです。

「国生み神話」が生まれた理由

「古事記」は日本に伝存する最古の書物であり、「日本書紀」は伝存する最古の「正史(国が公式に編纂した歴史書)」です。両書は国家の成立以前の歴史を反映し、当時の王朝の正当性を主張するために編纂されました。淡路島が「国生み神話」の舞台になっている理由は、先述した遥か古代より続く、淡路島の海人と王朝との深い関わりが大きな因子になっているとも考えられます。

五斗長垣内遺跡の現在

現在、五斗長垣内遺跡は史跡公園として整備され、隣接する五斗長垣内遺跡活用拠点施設では遺跡に関する映像や出土品、鉄器のレプリカなどを見学できます。弥生時代の竪穴建物も復元されており、その中でも最大の建物「ごっさ鉄器工房」では当時の製鉄法が再現され、イベント時などは鍛冶体験も行われています。

小高い丘陵地に幾棟もの竪穴建物が並ぶ光景は壮観で、現代風にお伝えすると「異世界転生」感があります。遺跡からは瀬戸内海、対岸の加古川市、姫路市のあたりを見渡すことができますが、ここで鉄器を作っていた海人たちも同じ眺望を見ていたのかと思うと、感慨深い気持ちになります。

淡路島を訪れた際は、五斗長垣内遺跡で神話の原風景を眺めてみてはいかがでしょうか。

遺跡からの眺望
海人たちも眺めていたであろう、遺跡からの壮観な眺望

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