琵琶湖に浮かぶ島「竹生島」は、弁才天や龍神が登場する能の演目「竹生島」の舞台です。現在でも能楽に関係する伝承・スポット・宝物などが多数残る、神秘とロマンに包まれた島です。
本記事では、能「竹生島」に登場する竹生島宝厳寺(本尊:弁才天)のご住職の峰覚雄さんに「能楽の視点」から竹生島の魅力をご紹介いただきます。

 

能「竹生島」で表現された女性たちの島

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竹生島宝厳寺 本殿に安置されている弁才天座像。
秘仏のご本尊は60年に一回開帳され、次回の開帳は2037年

:竹生島は明治時代までは女人禁制の島でしたが、古くから女仏の島であり女性からの信仰もあつくありました。そうした島の特徴を表現しているのが能「竹生島」だと思います。

能「竹生島」のあらすじ

朝廷の大臣たちが竹生島参詣のため、翁と女が乗った釣り船に同船します。
女人禁制であるはずの竹生島へ女が一緒についてくるので、大臣たちが翁に問うと「竹生島は女体の弁才天を祀っているので女人を分け隔てはしない」と語ります。
その後、二人は人間ではないことを明かして姿を消し、やがて女は弁才天に、翁は龍神となって現れます。
釣り船に乗っていたのは、実は弁天様と龍神様だった、というお話です。

:竹生島の氏神もまた、浅井比売命(あざいひめのみこと)という女性の神でした。

滋賀県に伝わる「近江国風土記」に「山の背比べ」という昔話があります。背比べをして負けた伊吹山の神が怒って浅井岳の神の首を取り落としたところ、それが琵琶湖に落ちて竹生島になったというお話です。この浅井岳の神が浅井比売命とされています。それゆえ、島の人々は信仰の対象として女性の仏様を求めました。竹生島は日本で最初に弁才天信仰が根付いた島となったのです。

竹生島を信仰した女性には、豊臣秀吉の正妻だった寧々(ねね)がいます。当寺は永楽元年(1558)に火災で焼けていますが、その復興を助けたのが寧々でした。秀吉の家族や家臣たちによる寺への寄進記録「竹生島奉加帳」が残っており、いちばん最初に書かれているのが寧々の名前、そのあとに女性たちの名前が並んでいます。このことより、寧々が城内で女性たちから寄付を集めて寄進したことがうかがわれます。寧々や茶々・初・江の浅井三姉妹など、多くの女性たちが弁天様を深く信仰し、島を守ってきたのです。

現在でも、島の祭礼時には主催者が男性の場合は奥様と同席するという習わしがあります。

能「竹生島」は、女人禁制ではあるものの女性たちを守り、また女性たちからも愛された信仰の島であることを忍ばせて表現しているように感じます。

能で謡われた「波兎」に象徴される神秘の島

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水面に映る雲と波紋と兎のイメージ

:能「竹生島」では、竹生島を背景とした湖水の風光明媚なありさまを「緑樹影沈んで、魚木に上る気色あり、月海上に浮かんでは、兎も波を走るか、面白の島の気色や(波の白いしぶきが兎に見え、月から兎がおりてきているように見える)」と謡っています。
この波兎(なみうさぎ)の情景は竹生島の御詠歌でも語られ、竹生島のイメージとしてすっかり有名になりました。現在でも、波兎の文様を用いた手ぬぐいや湯のみなどの小物や、染めの絵柄などで見られます。

波兎は吉慶(きっけい。めでたいこと)の象徴でもあり、情景がぱっと目に浮かぶ表現です。

このように風光明媚な竹生島ですが、幼少の頃の私はそんな島を怖いと感じていました。琵琶湖水の色は緑深く、湖に落ちてしまったらどこかに行ってしまいそうな感覚でした。仏像も怖くて、お堂に入るのが嫌だと言ってよく泣いていたそうです。

いま思うと、当時の怖いという感覚は竹生島の「神秘性」にあるように感じます。お経の中では弁天様は「慈母的愛があり、水の神様でもあるので清らか」と書かれています。清らかであるからこそ、罪悪に対してとても厳しいという一面もあります。

そんな神に対する「吉慶」「恐れ」「神秘性」といった人間の感覚を、竹生島の情景に重ねて謡われているのが能「竹生島」であるように感じます。

龍神が現れる場所に建つ「黒龍堂・神木」

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黒龍堂と鳥居の右側に立つ大木が黒龍が湖より昇ってくると伝えられる神木

:能「竹生島」では、最後に龍神が湖上に現れますが、島内に龍神が現れるといわれる場所があります。当寺の観音堂下に黒龍大神を祀る黒龍堂があり、その隣に立つ大木が黒龍が湖より昇ってくると伝えられる神木になります

黒龍堂の下が仁王崎という小さい岬となっていて、昔は島に上陸する際の玄関口でした。その横には、都久夫須麻神社の竜神拝所から湖面に突き出た宮崎鳥居が建つ岬がありますが、宮崎鳥居は弁天様しか通ることができないとされ、人も祭礼時にしか入ることができませんし、黒龍大神も通ることができません。すなわち仁王崎が黒龍大神の入り口と言われているのです。能「竹生島」は、このようないわれを取り込み創られたのではないでしょうか。

能楽に関係する品が多数収蔵されている「宝物殿」

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宝物殿の入り口では、彦根藩の井伊家から寄進されたという亀の像が出迎えてくれます

:当寺には、国宝「法華経序品(竹生島経)」をはじめ、竹生島に伝わる多数の寺宝が残されており、能楽に関係する品も数多く収蔵しています。来歴は不明なものが多いですが、能で知られる島であることから大半は寄進されたものだと思われます。
下記に紹介する品は宝物殿に収蔵されていますが、季節や催しごとに不定期で入れ替えをしていますので、どの宝物と出会えるかは来てのお楽しみとしてください。


宝物殿に収蔵されている能楽ゆかりの宝物の一部

能「竹生島」に登場する「二股の竹&天女の数珠」

能「竹生島」の間狂言(あいきょうげん)で、竹生島にゆかりのある宝物として登場する二股(ふたまた)の竹と、天女の持つ数珠(写真)。
間狂言で「島一番の宝」として紹介される二股の竹は、修験道の祖といわれている役行者(役小角・えんのおづぬ)が祈願すると、持っていた竹杖が二股に割け枝葉を生じたという説に由来し、二股の竹から竹生島の名が生まれたとも伝えられています。収蔵されている二股の竹は意外と長く、2mほどの長さがあります。
また、天女の数珠は、能では天女が朝夕にお経を唱えるときに使う数珠として紹介されています。

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井伊直弼寄進の「井関の面」

第13代彦根藩主で、自ら能・狂言を創作するほど能への造詣が深かったといわれる井伊直弼が、弁才天への祈祷により病気が回復した礼として寄進した小尉と小面一対の能面。井関家は桃山時代から江戸時代にかけての能面打ちの家系で、とくに四代目家重は「天下一河内」と呼ばれたことで有名。写真中央の面の裏には、その「天下一」の文字があります。

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能「海人」に登場する「面向不背の珠」

能「海人(海士=あま)」で、藤原房前(ふさざき)の母の亡霊が、かつて龍神に奪われるも、後に命がけで取り返したと語った面向不背(めんこうふはい)の珠(水晶玉)。もとは奈良の興福寺に納められていたとされています。

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能「小鍛冶」の宗近作「鎧通し」

能「小鍛冶(こかじ)」に登場する、平安時代の刀鍛冶の名人・三条小鍛冶宗近が作ったとされる鎧通し(短刀)。武蔵坊弁慶が所持したものとも伝えられています。

能を愛した秀吉に由来する国宝「唐門」



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現存する唯一の大坂城遺構といわれている唐門

:当寺の唐門は、豊臣秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建てられていた「極楽門」です。慶長7年(1602)に豊臣秀頼の命により、賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる片桐且元を普請奉行として移築されたものです。2020年に約6年かけて行った修復作業が終わり、豪華絢爛な桃山様式の彫刻や鮮やかな文様が美しくよみがえりました。

唐門は、文献や絵図から秀吉が建てた大坂城極楽橋の一部と言われていましたが、修復作業時の詳細な調査で、ほぼ間違いないことが証明され、唯一の大坂城遺構として注目を集めています。

唐門が竹生島に移築された際のエピソード

:当時の秀頼はまだ7歳だったので、実際に移築の許可を出したのは徳川家康となっています。では、誰が家康を動かして移築させたのでしょうか?

一節には、片桐且元とも懇意の間柄であった寧々だったのではないかと言われています。私としても、家康にイエスと言わせることができたのは寧々しかいないと思っています。

寧々には、竹生島の弁天様にも通じる慈母的愛があり、武将たちにも親しまれていたのでしょう。

平経政が琵琶を奏でた「都久夫須麻神社 竜神拝所」

 

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能「経政」の主人公・平経政が琵琶を奏でた場所といわれる竜神拝所

:「平家物語」に竹生島を舞台にした話があります。能「経政(経正=つねまさ)」の主人公で、琵琶の名手としても知られた平経政が、竹生島で戦勝を祈願した際に琵琶の名器「仙童の琵琶(せんどうのびわ」を奏でたところ、弁天様が素晴らしい音色に感動して経政の袖の上に白龍が現れたというものです。
経政が仙童の琵琶を奏でた場所こそが、都久夫須麻神社の竜神拝所とされています。
なお、経政が奏でたとされる仙童の琵琶と撥(ばち)は当寺に収蔵されていましたが、琵琶は火災のため焼失、撥のみが現存しており現在も宝物殿に収蔵されています。

竹生島は日常と違う空間と時間を味わえる特別な地

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竹生島宝厳寺(本尊:弁才天)のご住職の峰覚雄さんより読者の皆様へのメッセージをいただきました

:竹生島は湖の真ん中にぽつんと浮かぶ島で、いまでこそ長浜港などからフェリーで30分で着きますが、私が幼少の頃は1日1便で片道1時間半かかりました。さらに昔は、ろかい船(人の力だけで動く舟)での往来ですから、人々にとって遠い場所であったことは間違いありません。しかし、遠く行きにくい場所であったからこそ「特別な場所」「聖地」と呼ばれ、能楽をはじめ、様々な芸能や物語に登場したのでしょう。

竹生島は、にぎやかな街の音もしませんし、船の時間が来るまで自由に帰ることもできません。そして、ゆったりと時間が過ぎていきます。そうした日常とは違う空間と時間を味わっていただきながら、能「竹生島」の世界に思いを馳せていただけたらと思います。

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