能の現行曲の中で17曲ほどが武士の幽霊をシテとする修羅物(修羅能・二番目物)に分類されますが、そのほとんどが「源平の戦い」を舞台としています。本記事では、源平の戦いにおける歴史上の出来事と実在した人物がどのように能の各演目で表現されているのかをたどりました。

「源平の戦い」とは 赤白帽と紅白歌合戦

まず、源平の戦いについて、おさらいをしておきましょう。

源平の戦いは、平安時代末期に起こった平氏政権に対する内乱です。「源氏 vs 平氏」の戦いとして、平清盛を中心とする平家の政権に不満だった源氏の武士が源頼朝を中心として平家を討ち、鎌倉幕府を樹立するという認識が一般的です。

この戦いは「源平合戦」や「源平争乱」とも呼ばれ、歴史の教科書にも載っていますが、近年ではこうした呼称は適切ではなく、「治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)」という、戦いのあった年号から呼ぶ方がよいという議論もあります。

その理由としては、源氏であっても平氏に味方する者やその逆がいたり、源平どちらにも属さない地方豪族や寺社勢力も参加していたことから、単純に「源氏 vs 平氏」とは言えない状況があったためです。

能に即すると、能「箙(えびら)」のシテである梶原源太景季や、「敦盛」のワキとして登場する熊谷次郎直実は、いずれも源頼朝の重臣として有名ですが、実は関東にいた平氏の一族でした。また、「実盛」のシテである斎藤別当実盛のように、はじめは源氏に仕えていたけれども、後年は平家方に仕えるようになった武将もいます。

源平の戦いは6年にもわたる大きな争乱でした。そのため、日本人の生活にも無意識に溶け込んでいる部分があります。たとえば、年末に放送されるNHKの「紅白歌合戦」や、小学校の体育授業で頭にかぶった「赤白帽」などが挙げられます。スポーツなどでも「紅白戦」といったように、赤と白が対立して行われる試合に使われますが、これは源平の戦いにおいて平氏が赤色の旗を、源氏が白色の旗を用いて戦をしたことに由来すると言われています。

kv
「八島大合戦」歌川国芳 画 大判錦絵
  • 所蔵館=東京都立図書館(加工)

源平合戦の古戦場を背景とした能の演目

長期間に及んだ源平の戦いでは、合戦のあった場所もさまざまです。実在する場所で、討ち死にしていった武将たちがいて、そうした事蹟が修羅物に取り上げられています。代表的な古戦場(戦い)と修羅物の演目についてご紹介します。

能「巴」「兼平」 寿永3年(1184)粟津の戦い

粟津ヶ原は現在の滋賀県大津市に位置します。「粟津晴嵐(あわづのせいらん)」として「近江八景」のひとつに数えられ、かつては琵琶湖に臨んで500本を越える松原が広がっていたそうです。この粟津ヶ原は木曽義仲最期の地。義仲の墓所がある「義仲寺(ぎちゅうじ)」もこの地に建てられています。寿永3年(1184年)、敗走を続ける義仲はわずか五騎ばかりの手勢となって、この粟津ヶ原にたどり着き、無念の最期を遂げます。

「巴」「兼平(かねひら)」とも、義仲に仕えた家臣をシテとする演目です。

tomoe
能楽を旅する 彦根城特別公演 能「巴」より

能「敦盛」「忠度」「経政」「通盛」「知章」など 寿永3年(1184)一ノ谷の戦い

粟津の戦いと同じ年(寿永3年)、すでに都を追われていた平家は挽回を図って源氏と対決します。

かつて平清盛が都を造営した福原(兵庫県神戸市兵庫区)を中心に布陣した戦いで、東側の戦場が生田の森、西側が一ノ谷でした。源義経による奇襲「鵯越の逆落とし(ひよどりごえのさかおとし)」で有名な戦いです。源氏方の大勝に終わり、平家は多くの武将が討死か捕虜になりました。

修羅能で取り上げられる武将たちのほとんどは、この一ノ谷の戦いで戦死した平家の公達です。

atsumori
能楽を旅する 岡山後楽園特別公演 能「敦盛」より

能「八島(屋島)」 元暦2年(1185)屋島の戦い

一ノ谷で大敗を喫した平家は、体勢を立て直すべく瀬戸内海の屋島(現在の香川県高松市)に本拠を置きました。元暦2年(1185)に、この屋島を舞台として繰り広げられたのが「屋島の戦い」です。歴史の教科書にも取り上げられている那須与一「扇の的」や、源義経「弓流し」の話はこの戦いから生まれました。激戦の末、平家はここでも敗北し、最終決戦の地となる「壇ノ浦」へと逃れていきます。

能「八島(屋島)」は、源義経の霊がシテで往事の戦を勇猛に語り舞う演目です。

yashima
能楽を旅する 松山城の特別映像 能「八島」より

能に触れることは歴史に触れるということ

能は「物語の世界」ですので、架空の人物・神様・鬼といった人間以外の存在が登場することも多々あります。しかし、修羅物のシテはみな現実に存在した人々です。また、修羅物に限らず、実在した人物や実際にあった出来事を取り上げている能の演目も数多くあります。

いわゆる「史実(現代の歴史的認識)」とは違った話が語られることもありますが、かつての人々は、能をはじめとした芸能や物語の世界を通して「日本の歴史」を学び、その時代の世界観を感じ取っていたのでしょう。

能に触れるということは、そのまま歴史に触れることと同じとも言えます。能を通じて歴史に思いを馳せるというのも、楽しみ方のひとつと思います。歴史好きな皆さん、ぜひ能楽公演に足を運んでみてください。

武士が主人公の演目「修羅物」について

今回ご紹介したように、武士の幽霊をシテとする修羅物(修羅能・二番目物)のほとんどが「源平の戦い」を舞台としています。修羅物の魅力についてはこちらの記事を是非お読みください。

SNSでシェアする