沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」は、能楽・歌舞伎・文楽などの大和芸能の要素を取り入れて創られたとされ、能楽同様に国の重要無形文化財でありユネスコの無形文化遺産にも登録されています。本記事では、組踊の歴史を紐解きながら能楽との共通点や現状などの魅力について深掘りします。
組踊の誕生 琉球王国時代 中国からの使者をもてなす宮廷芸能
組踊は「セリフ」「音楽」「舞踊」の三要素で構成されます。美しい衣装を身につけた立方(たちかた=役者)が、琉球古典音楽のしらべにのって舞い、物語が進行していく沖縄独特の歌舞劇となります。
組踊が誕生したのは、琉球王国時代です。琉球王府の命を受けた踊奉行(おどりぶぎょう=使者を歓迎するための音楽や舞踊を担当する役職)の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)によって、中国からの使者である冊封使(さくほうし・さっぽうし)をもてなすため創作され、1719年の尚敬王(しょうけいおう)の冊封の宴で初めて上演されました。
朝薫は琉球王府の使節として薩摩・江戸を計7回も往来しており、その際に見聞した能楽などの大和芸能を参考にして日本や中国の故事、琉球民話を取り入れた組踊を生み出しました。
朝薫が創作した「二童敵討(にどうてきうち)」「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」「銘苅子(めかるし)」「孝行の巻(こうこうのまき)」「女物狂(おんなものぐるい)」は「朝薫五番」として現在も上演されている組踊の傑作であり、能の影響も色濃く反映されていると言われています。
組踊は1719年の初演より1866年まで首里城にて冊封宴(さっぽうえん)で上演されたほか、薩摩藩の役人をもてなす席や、琉球国王・王妃の御前も上演されました。琉球王国時代の組踊は、琉球王府の役人である士族が演じていたことから女性の役柄も男性の立方が演じていました。
組踊誕生の時代背景や朝薫五番の詳細は、以下の記事でくわしく解説しています。
組踊はどんな芸能? 能楽との共通点
組踊の構成や演出、舞台での決まり事などは大きく6つに分けられます。能楽もほぼ同じ要素を用いています。それぞれの芸能を比べてみて、共通点を探してみましょう。
組踊
セリフ
組踊ではセリフのことを「唱え(となえ)」と言います。
基本的には琉歌(りゅうか=沖縄の古い叙情歌)の「八八八六」調ですが、緊迫した場面などに和歌の七五調が用いられます。
音楽
琉球王国時代から伝わる琉球古典音楽です。演奏者は「地謡(じうてー)」と呼ばれ、歌唱と器楽を担当します。
使用楽器は三線(さんしん)・箏(こと)・胡弓(こきゅう)・笛・太鼓です。三線の演奏者は歌も担当することから「歌三線(うたさんしん)」と呼ばれ、登場人物の心情や場面の情景なども表現します。
舞踊
琉球舞踊の型が基本となっています。琉球古典音楽を伴奏に、非常に抑えたわずかな動き(所作)で感情を表現します。
たとえば再会の喜びなどを表す場合は、顔を見合わせお互いの肩に手を添えます。その際セリフは発さず、登場人物の感情は音楽と歌で補います。
演出
演出も写実的な表現を抑えて抽象化されており、様々な約束事があります。例えば「登場人物が舞台を大きく回り歩くこと」は旅などの長い距離の移動を表します。また、登場人物が舞台に登場する際には自己紹介をして物語のこれまでの経緯や現在の状況、これからの行動予定などのセリフを唱えます。これを「名乗り」と言います。
舞台
琉球王国時代は、首里城の御庭(うなー)に仮設舞台が設置されました。当時の舞台は正方形で、舞台下手後方に橋掛りがありました。
現在、国立劇場おきなわでは、三方から舞台を見ることができる「張出し舞台(はりだしぶたい)」で上演しています(上部写真)。舞台の背景には、組踊の幕として、主に「紅型(びんがた)」という沖縄独特の染物で作られた幕が飾られ、紅型幕には縁起の良い松竹梅と鶴亀が描かれています。 紅型幕の後ろに地謡が座り、幕を透かして舞台上の立方の動きを見ながら演奏します。
演目
前出の朝薫五番のように琉球王国時代に創られたとされる演目は70番ほどあるとされ、そのほかに近年創られた新作組踊があります。
琉球王国時代の演目の多くは、儒教道徳の「忠(国や王に尽くすこと)」「孝(親を大切にすること)」をテーマにしたもので、冊封使に好評を博しました。
能楽
セリフ
能では、セリフも含めて声によって謡(うた)われるもの全体を「謡(うたい)」と呼んでいます。登場人物によって謡われるものと、地謡と呼ばれるコーラスによって謡われるものがあります。
音楽
能の演奏に当たるのが「囃子(はやし)」です。囃子に用いられる楽器は、笛・小鼓・大鼓、太鼓です。
打楽器奏者が掛け声を発するのも特徴的で、出演者はこの掛け声で拍数や間合いをはかっています。
舞踊
能では「所作」といいます。腰に力を入れあごを引いた特殊な姿勢「カマエ」を基本にし、移動は床に足の裏をつけ、かかとをあげない歩き方「ハコビ」で行います。そこに、身体の動きを様式化した「型」が加わって成立します。
組踊同様、ほんのわずかな動きで多様な表現を生み出します。 たとえば、指を揃えた手を額のあたりに持ってくる「シオリ」という型は、涙を押さえる動作を簡素化したもので、泣く場面に用いられます。
演出
組踊同様、写実的な表現からできる限り簡素化されており、身体の向きを変える・面を上げる・数歩出るといったわずかな動きが効果演出となり、多様な表現を生み出します。
組踊の「名乗り」と似ているのが、能の中に登場する「間狂言(あいきょうげん)」です。多くは能の前半が終わると、狂言方が土地の男として登場し、登場人物を紹介したり、物語の設定や背景などを解説します。
舞台
舞台は、客席に向かって大きく斜め前に張り出した形になった独特の造りで、正方形の本舞台(舞台)、 地謡が座る地謡座、囃子方と後見が座る後座(横板)、演者が出入りする通路で演技空間としても使われる橋掛りの大きく四つの部分からできています。 舞台の背景の鏡板には、老松が大きく描かれています。
演目
現在の上演曲目はおよそ250曲。主人公であるシテの役柄によって、次のように大きく五つに分類されます。
- 神様がシテの初番目物(脇能物)
- 戦で修羅道におちた武将の亡霊がシテの二番目物(修羅物)
- 「源氏物語」などのヒロインや、草木の精などの女性がシテの三番目物(鬘物)
- 狂女や唐人などがシテの四番目物(雑能)
- 主に人間以外の鬼や天狗、妖精などがシテの五番目物(切能)
近代の組踊 廃藩置県で沖縄全土に伝わるが、現在は伝承の危機
明治維新に行われた廃藩置県により琉球王国が終焉を迎えると、国家事業として行われてきた組踊は上演の機会を失いました。これまで組踊を担当していた士族たちは職を失い、生計を立てるために宮廷から芝居小屋へ舞台を移して一般の人々に向けて上演されるようになっていきます。
この時期、組踊は沖縄本島全域から八重山諸島まで様々な地域に伝わり、各地の村祭りなどの中で伝承されました。 そのひとつに、国の重要無形民俗文化財に指定されている多良間島の豊年祭「八月踊り」という年中行事があります。旧暦8月の3日間に村をあげて催され、豊年を祈念します。民俗踊りに加えて組踊などが伝えられ、現在も盛んに演じられています。
やがて、組踊は活動写真や映画といった新しい娯楽に押され徐々に上演が減っていきます。大正から昭和初期にかけては戦争の影響を受け、公の場での上演が自粛され組踊の上演機会はほぼなくなってしまいました。
戦後の組踊 再興活動、国の重要無形文化財へ
第二次世界大戦後、組踊が復興する動きがみられます。きっかけのひとつが、1945年12月に石川市(現うるま市)の城前小学校で行われた「クリスマス祝賀演芸大会」での組踊を含む琉球芸能の披露です。当時沖縄を統治していたアメリカが民心の安定のために琉球芸能を復興し、米兵たちにも沖縄の文化を学ばせたいと開催したもので、5000人以上の観客が詰めかけ好評を博しました。なかでも、組踊「花売の縁」は家族の離散と再会の物語で、観客の涙を誘いました。
その後、熱意ある人々によって組踊を再興する活動が続けられ、1965年には「琉球組踊保存会」が結成されました。1967年には朝薫の五番が琉球政府指定の重要無形文化財になり、1972年の本土復帰とともに組踊は国の重要無形文化財に指定されました。その後、保存継承の動きは加速し、2004年には組踊など沖縄の伝統芸能の保存振興を目的とした国立劇場おきなわが開場し、定期的な組踊の上演と組踊の伝承者を育成するための研修制度が始まりました。沖縄県立芸術大学では、琉球舞踊組踊専修が設置され、若手の育成や普及活動のみならず女性にも門戸が開かれました。
そして、2010年にはユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に登録され、世界的な評価を受けるにいたりました。
組踊の現在 未来につなげる取り組み
近年では若手の立方などにより「新作組踊」が創られ、上演される機会も増えています。
2013年、国立劇場おきなわと東京の国立劇場で歌舞伎の人間国宝・坂東玉三郎さんが主役を務めた新作組踊「聞得大君誕生(ちふぃじんたんじょう)」が上演され話題となりました。この脚本を手がけたのは沖縄初の芥川賞受賞作家の故・大城立裕さんで、朝薫五番にちなんで書き下ろした新作五番をはじめ、多数の新作組踊を創作しました。
国立劇場おきなわでは、上演前に解説を設けた初心者向けの普及公演に力を入れています。日本語字幕表示や多言語対応オーディオガイドなど、組踊を観たことがない人も気軽に楽しめるようなさまざま工夫が行われています。また、県外の劇場やホールとの共催公演なども盛んに行っています。
さらに、国立劇場おきなわの研修生や沖縄県立芸術大学の卒業生たちが一線で活躍する姿も目立ってきています。
国立劇場おきなわの組踊研修修了者で構成された「子の会(しーのかい)」では、公演への出演のほか、次世代への継承のために学校などにおける「芸術鑑賞会」や、子どもなどを対象とした体験型ワークショップなどの普及活動を行っています。
沖縄県立芸術大学大学院で組踊を研究し、修了した女性メンバーで2012年に設立された「女流組踊研究会めばな」では、解説に力を入れた公演や親子対象のワークショップ、子役後進の育成指導を行い、新作組踊を手掛けるなど多岐にわたる活動を行っています。
能楽も、普及公演をはじめ新作能・海外公演・現代演劇との交流など能楽の可能性を広げる試みや、全国の学校での公演・子ども体験教室・教職員向けの能楽セミナーなど、新しい観客の獲得を目指す活動を続けています。また、国立能楽堂では、ワキ方・囃子方・狂言方の「能楽三役」の養成事業など後継者育成のための取り組みが行われています。
このように苦難の時代を経て再興し、次世代への継承のためさまざまな取り組みが行われている組踊は能楽が歩んできた道のりと重なる部分が多くあります。組踊は、能楽とのコラボレーション公演などが開催される機会も多いので、ぜひ一度ご覧いただけたらと思います。
写真提供/沖縄観光コンベンションビューロー
参考文献/「ももとVOL.41 特集 組踊」(発行:編集工房 東洋企画)
参考サイト/「文化デジタルライブラリー 琉球芸能編 組踊」