能楽公演などで最後の演目が終わった後に、地謡だけが残っておめでたい内容の謡の一節が謡われることがあり、これを「附祝言(付祝言、つけしゅうげん)」と呼びます。能楽初心者の方は、「あれ?終わったと思ったのに、また何か始まった」と、不思議に思われるのではないでしょうか。
附祝言には公演等の最後をめでたく謡い納めるという意味があり、しきたりのようなものです。本記事では、江戸時代にはじまったとされる附祝言について紐解いてみたいと思います。
附祝言の起源
元は謡ではなく半能が演じられた!?
附祝言はもともと「祝言」「祝言能」と呼ばれていました。江戸時代の正式な演能形式である「翁付き五番立て」の最後の曲が終わった後、追加で演じられた「半能形式のおめでたい能」のことを指していたのです。
この「おめでたいお能」というのは、主に「翁」のすぐ後に続いて演じられる「脇能(初番目物)」という種類の曲になります。「高砂」「養老」といった神様が登場し、世の中をことほぐ(祝言)曲のことです。
日本人は「〇〇に始まり、〇〇に終わる」という感覚が好きなようです。「翁」という祝祷曲に始まり、最後もめでたく祝言性をもって終わりたいということで、とくに最後の曲が祝言性を欠く場合(妖怪物だったり、鬼退治のお話だったりする時)、追加で祝言能を付けて、めでたく1日の演能を舞い納めたのです。
前半部分を省略して演ずる「半能」という形が取られたのは、最後の最後にあくまでも追加で付けるので、めでたさのエッセンスを強調するためと思われます。しかし、当時の演能は一日がかりで曲数も多く、しかも現代のように電気照明もない時代です。日暮れまでに演能を終える必要があり、なるべくすみやかに終了させるという意図もあったもの、とも想像できます。
この祝言能、さらに省略されて主に脇能の謡の終結部を謡うことで代用するようになったのが「附祝言」なのです。正式な演能形式である「翁付き五番立て」がほとんど行われなくなった現代においても、この慣習が残り、公演などの最後に附祝言が謡われているのです。
主な附祝言 その1
脇能随一の名曲「高砂」のキリ「千秋楽」
基本的には、脇能として扱われる祝言曲であればどの曲でも附祝言になります。
現在、もっとも多く謡われているのは「高砂」キリ(謡の終結部)で、一般的に「千秋楽」と呼ばれる謡です。附祝言の八割くらいは「千秋楽」といっても過言ではないでしょう。
理由としては、「高砂」という曲が脇能の中でも上演頻度・人気・知名度が非常に高いことに由来するものと思われます。キリの部分を「千秋楽」と呼ぶのは、謡の出だしの言葉によります。
- 千秋楽 謡全文
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千秋楽は民を撫で 萬歳楽には命を延ぶ 相生の松風 颯々の声ぞ楽しむ 颯々の声ぞ楽しむ
- 千秋楽 意訳
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この平和な世の中に奏される千秋楽の響きは万民の心を癒し、萬歳楽の調べは人々の寿命を長からしめる。
これはあたかも相生の松を吹き抜ける爽やかな風の音。いつまでもこの松風の声を聞いていたいものだ。いつまでもこの平穏無事な世界が続いてほしいものだ。
謡本文の「千秋楽(せんしゅうらく)」「萬歳楽(まんざいらく)」は雅楽の曲名です。「千秋」「萬歳」はどちらも長い年月という意味で、雅楽の中でもめでたい曲とされています。
「相生の松」は二本の松が一つの根から生え出たもので夫婦和合の象徴。「颯々」は「さっさつ(さっさっ/さつさつ)」と読み、風が音を立てて吹く様子のことです。
主な附祝言 その2
「高砂」以外の曲と決まりごと 何を謡うかは地頭次第?
主な附祝言の八割が「高砂」とすると、残りの二割のほとんどが「猩々」で、まれに「嵐山」「難波」「老松」といった曲が選ばれている印象です。
「高砂」以外の曲が謡われるのは、当日の番組に「高砂」が選曲されている時です。能楽の世界では「重複をさける」という考え方があり、同じ曲はもちろん、たとえば女性役のシテが続いたり、同じ種類の面や装束を使う曲が続くようなことを好まない傾向があります。
どの曲を附祝言として謡うかは、現在では前もって決められていることがほとんどですが、元来は地頭(地謡のリーダー)が謡い出すしきたりだったようです。
現在では曲目がかぶらないことを前提に、春であれば「嵐山」、秋冬ならば「猩々」といったように季節や公演の目的などを考慮して事前にシテや地頭が相談して選曲されていることが多いと思われます。
また、流儀によってもある程度の決まりがあります。たとえば観世流では附祝言として用いる曲として「高砂」「嵐山」「老松」「淡路」「志賀」「白楽天」「岩船」「代主(しろぬし)」の八曲が挙げられています。なかでも「代主」は現在ではめったに上演されることない稀曲で、昔、古式を重んじることで有名な能楽師が地頭を勤めた際に、附祝言に「代主」を謡い出して他の地謡が誰もついていけなかったというエピソードが残っています。
- 附祝言として謡われる謡の例
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猩々 尽きせぬ宿こそめでたけれ
嵐山 光も輝く千本の桜 栄ゆく春こそ久しけれ
難波 この音楽に引かれて 聖人御代にまた出で 天下を守り納むる 天下を守り納むる 萬歳楽ぞめでたき 萬歳楽ぞめでたき
老松 告げを知らする松風も梅も 久しき春こそめでたけれ
附祝言は必ず謡われるものではない
そもそも付ける?付けない?
附祝言は、最後の演目が祝言曲でない場合に必ず謡われるかというと、そうでもありません。逆に言うと、最後の曲が祝言である場合は重複を避けるために謡われません。また、番組に「附祝言」の記載がある時は必ず謡われますが、番組に記載がない場合でも謡われることがあります。
この附祝言のあるなしについても公演の目的などで決められることが一般的ですが、近年は曲の余韻を深く味わってほしいという考えで、あえて附祝言を謡わないということが多いように思います。
能舞台には全体を隠すような緞帳も幕もありません。何もない舞台から始まって、また何もない舞台に戻って終わりになります。附祝言のあるなしまで含めて能の演出であると思って観ていただくと、よりいっそう理解が深まるのではないでしょうか。
追善能などの場合は?
附祝言に代えて添えられる「追加」
能や狂言の公演にも故人の追悼(追善能)や物故者の慰霊を目的としたものがあり、そうした際には附祝言に代えて「追加(ついか)」と呼ばれる謡が添えられることがあります。
追加として謡われるのは「海人(海士)」「融」「卒都婆小町」などで、故人を偲ぶ内容であったり仏教的に成仏する内容の謡が選ばれます。
また、演者や関係者等にご不幸があった際は、通常の公演であっても弔意を表すために追加が謡われることがあります。参考までに謡本文をご紹介します。
- 海人
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仏法繁盛の霊地となるも この孝養と承る
- 融
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この光陰に誘はれて 月の都に入り給ふよそおひ あら名残惜しの面影や 名残惜しの面影
- 卒都婆小町
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花を仏に捧げつつ 悟りの道に入らふよ 悟りの道に入らふよ
狂言の附祝言
演目「靭猿」や「猿聟」の終結部「猿歌」
狂言の公演においても附祝言が謡われることがあります。
最後の曲が祝言の時は付けない等、決まりごとは能と一緒で、「靭猿(うつぼざる)」や「猿聟(さるむこ)」の演目で謡われる「猿歌」と呼ばれる謡の終結部が用いられます。
- 猿歌
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なお千秋や萬歳(ばんぜい)と 俵を重ねて面々に 俵を重ねて面々に 俵を重ねて面々に 楽しうなるこそ めでたけれ
こちらにも「千秋」「萬歳」という言葉が入っていて、「千秋楽」に負けないくらいおめでたい謡です。
「狂言はセリフ劇」と思われている方が多いかもしれませんが、狂言の稽古も「小舞謡(こまいうたい)」という短い謡と舞の習得から始まりますし、そうした謡や舞が多くの曲で出てきます。
なお、狂言の会で「追加」がある時は、舞狂言の「祐善(ゆうぜん)」等が謡われます。
短いながらも奥深い附祝言の魅力
江戸時代に始まったしきたりということで附祝言について紐解いてみました。
附祝言は時間にすると1分もかからない極めて短いものです。しかし、その背景には実に様々な経緯や謂れがあります。公演の最後に耳にする機会も多いので、ぜひとも謡を覚えていくきっかけにしていただき、能楽について理解を深めていただければと思います。