海外出身者が行く能楽鑑賞体験記

海外出身者が行く能楽鑑賞体験記

スザン&ルカの道行き編

最近の能楽堂では、海外のみなさんの姿を多く見かけます。能楽は日本国外にも知られ、親しまれるようになりましたが、海外の方たちは、能楽をどのように楽しまれているのでしょうか?
そこで、海外出身のお二人に「能楽公演2020~新型コロナウイルス終息祈願~」(第4日・7月30日)を鑑賞していただき、その様子をレポートさせていただきました。
今回、能楽体験をするのは、東京に本社があるジャパン・トラベル株式会社に勤務するドイツ出身のスザンさんとイタリア出身のルカさん。トラベルコンサルトとして、13カ国語で展開する自社メディア「japantravel.com」で日本の観光情報などを世界中に発信されています。
お二人とも、過去に数回、能楽鑑賞&体験の経験はあるものの、仕舞、舞囃子、狂言、能の各プログラムが約2時間30分(途中休憩をはさむ)にわたり一気に上演される本格的な能楽公演ははじめて。期待に胸踊らせ、いざ会場の国立能楽堂へ!

国立能楽堂_正面入り口
皆さんを迎え入れる国立能楽堂の正面入り口

プロフィール

海外出身者が行く能楽鑑賞記_プロフィール1

スザン・シュスターさん

34歳・ドイツ出身・2018年6月来日

会社ではライターとして日本の紹介記事の執筆も手掛けるなど幅広く活動。
10代の頃に日本のマンガをきっかけに日本文化に興味を持ち、来日後も折り紙、生け花、茶道、着物の着付けなどに積極的にチャレンジされています。

 

海外出身者が行く能楽鑑賞体験記_プロフィール画像2

ルカ・デ・パスケールさん

29歳・イタリア出身・2015年6月来日

前職で日本全国をクルーズ船で周りながら欧米人乗客向けに寄港地の観光情報などをアドバイジングしていた経験を活かし、マイクロインフルエンサーとしても活躍。幼少の頃より、ビデオゲームから食事まで日本文化に幅広く触れてきましたが、来日後は日本人の規律正しさに強い感銘を受けたといいます。

JR千駄ヶ谷駅からスタート

会場・国立能楽堂の最寄り駅で待ち合わせ

海外出身者が行く能楽鑑賞_待ち合わせ
国立能楽堂の最寄り駅、千駄ヶ谷駅前で待ち合わせ

2020年7〜8月の10日間に、人間国宝や各流儀の宗家など能楽界のオールスターが登場する夢の舞台「能楽公演2020~新型コロナウイルス終息祈願~」が行われる会場は、東京・渋谷区にある国立能楽堂。すぐ近くには国立競技場があります。

本来ならば、この時期、本公演は「東京2020オリンピック・パラリンピック能楽祭」として実施される予定でしたが、オリンピック・パラリンピック競技大会の延期により、名称と企画を改めて開催されることになったのです。

千駄ヶ谷駅から国立能楽堂までは、徒歩5分という近さ。首都高速下の賑やかな幹線道路を右に折れると、雰囲気は一変し、落ち着いた和の佇まいの国立能楽堂が見えてきます。
お二人とも、「こんなに駅から近いところにシアターがあるとは!」と驚かれていました。

一歩踏み入れた瞬間から非日常の能楽の世界へ

国立能楽堂エントランス

海外出身者が行く能楽鑑賞体験記_エントランス
いざ能楽堂へ!エントランスでお話し中のお二人

国立能楽堂は、古来伝わるこけら葺きの屋根を金属で表現するなど日本の伝統建築を採用しながらも、近代的な建築法を活かした造りとなっています。
エントランスに一歩踏み入れると、そこからは別世界。木の柱や梁をむき出しにした開放的な和風モダンの空間が広がり、受付後方の硝子からは中庭の緑が望めます。

「エントランスに入った瞬間から、日常感覚から切り離されて、すでに能楽体験がはじまったように感じました」とスザンさん。

ルカさんも「ミュージアムのような静かで落ち着いた空間。能楽の雰囲気にマッチしていますね」

と、エントランスから能楽堂の雰囲気に魅了されていました。

開演までのひとときをゆったり過ごせる空間がいっぱい

売店・中央ロビー・中庭・レストラン

エントランスから歩廊を進むと、突き当たりの右手に小さな売店がありました。売店には、能楽師の方々も購入されるという帯や足袋といった本格的なものから、お土産に人気の和風柄のペンケース(1000円)やティッシュケース(800円)なども置かれています。
売店から左に折れると、左手には先ほどエントランスから硝子越しに見えた中庭があり、ベンチに腰掛けながら、敷き詰められた苔や、木々の緑をゆったり眺めることができます。

能楽堂_食堂入口
能楽堂の食堂風景
国立能楽堂_中庭
中庭でお散歩を楽しむお二人

さらに、その奥にある広いレストランでは、中庭を眺めながら、和菓子セット(和菓子とお茶650円)、ケーキセット(洋菓子とコーヒーまたは紅茶800円)などの喫茶メニューのほか、カレーライス(750円)や各種うどん・そば、羽衣弁当(1,500円)などの食事メニューも楽しめます。
スザンとルカさんは、中庭の周りを歩いたり、レストランでティータイムを楽しんだりしながら、開演までのひとときを思い思いに過ごされました。

場内に入場

正面座席からスマートグラスを使用しながら鑑賞

国立能楽堂_会場
開演前、静かな会場内の風景
海外出身者が行く能楽鑑賞_スマートグラス
スマートグラスの説明を受けるお二人

中央ロビーを抜けると、左右に通路が分かれ、公演会場への扉があります。扉から入ると、会場奥には切妻屋根の能舞台が見えました。
左手には、歌舞伎の花道のように使われる橋掛(はしがかり)があり、舞台へとつながっています。
客席は、正面、脇正面(橋掛側)、中正面(正面と脇正面の間)に分けられ、舞台を三方から見るように配置されています。

今回のお二人の座席は正面の後方。座席に腰を落ち着かせたところで、海外の方向けの心強い秘密兵器が登場。今回、特別に用意されたスマートグラス(QDレーザ製。現在開発中の製品)で、メガネのようにかけると、舞台を見ながら英語字幕も見られるという画期的なグラスです。お二人にその使い心地をお伺いすると………。

「舞台の邪魔にならずに違和感なく字幕が表示されるので、とても助かります。字幕があるのとないのとでは理解がまるで違ってきますから」とスザンさん。ルカさんもそれには同意しながらも、「アジア人の顔サイズに合わせて設計されているので、欧米人の場合、グラスが鼻から下に落ちてしまう。サイズ調整が必要ですね」との注文を付け加えました。

いざ開演!

仕舞から舞囃子、狂言、能までバラエティーに富んだ番組を堪能

会場の照明が落とされ、いよいよ公演の開始

最初に、仕舞(しまい)の短い番組が2つ続きます。仕舞とは、能の見せ場だけをシテ(能の主人公)が紋服・袴姿で地謡(謡のコーラスグループ)にあわせて舞う略式上演のこと。
演目は、最初が『菊慈童』で、永遠の若さを得た少年がすがすがしく舞う明るい祝言曲。次が『巻絹』で、こちらは神がかりになった巫女が激しく狂い舞うというもので、どちらもシテを女性能楽師が勤め、地謡の4名も全員が女性という編成でした。

7.30仕舞 菊慈童
菊慈童
7.30仕舞 巻絹
巻絹
3つ目の番組は舞囃子(まいばやし)

舞囃子とは、能の舞所をやはりシテが紋服・袴姿で地謡と囃子(笛・小鼓・大鼓)とともに舞います。演目は『松風』。在原業平から寵愛を受けた松風と村雨という姉妹の亡霊が行平への思慕を捨てきれずに狂い踊り、最後に妄想に悩むわが身の供養を僧に頼んで姿を消すという恋物語。

能楽公演_松風
舞囃子

「まずは女性能楽師の登場に意表を突かれた」というルカさん。
「仕舞は全員が女性で、次の舞囃子でも女性が小鼓を打っているのにビックリ。歌舞伎のように、能舞台には男性しか立てないと思っていたからです。能楽の世界はダイバーシティが進んでいますね(笑)」。

一方、スザンさんは
「仕舞と舞囃子は字幕が表示されなかったこともあり、次に続く狂言と能のプロローグなのか、全体の公演の中でどのような役割を果たしているのかがわからなかったのが残念。もう少し事前の予習が必要でしたね」
と少し悔しそうな表情を浮かべていました。

4つ目の番組は狂言の『棒縛』
能楽公演_棒縛
棒縛

主の留守中に酒を盗み飲みしないように、使用人の一人は棒に縛られ、もう一人は後ろ手に縛られる、そんな二人が不自由ながらもアイデアを凝らして酒を飲む姿が滑稽に演じられる狂言の代表的な演目です。
「フィジカルなアクションが面白く、言葉がわからなくても楽しめるので、海外出身者にもわかりやすい演目ですね」とスザンさん。
「でも、舞台には実際の酒器は出てこないので、イマジネーションが必要。そこが面白い」とルカさん。

狂言が終わったところで20分間の休憩
いよいよ最後を飾るのは、中国を舞台とする能の傑作といわれる『邯鄲(かんたん)』

青年が、宿の女主人から悟りを得られるという不思議な「邯鄲の枕」を借りて仮寝をしたところ、青年は夢の中で帝位につき、50年にわたる栄耀栄華を極めます。しかし、粟飯が炊けたという女主人の声に目を覚ますと、それは束の間の夢で、この夢の如く人生ははかないものという悟りを得るというストーリー。

7.30能-邯鄲
邯鄲(かんたん)

舞台は、後見の二人が舞台上で、宿の寝台、のちに夢の中で王宮の玉座となる小道具を組み立てるところからはじまります。
面と装束をつけた青年役のシテ、宿の女主人役のアイが地謡と囃子とともに物語を語り、舞台は進行します。
シテが眠りに落ちると、観客の想像の中で宿の寝台は豪華な玉座へと変わり、勅使としてワキが登場。シテは栄華の極みに喜びの舞を舞い始めます。見どころの1つは舞の最後にありました。
ワキが退場すると、シテは寝台に飛び込んで最初に寝たときの姿勢に戻ります。すると、そこに宿の女主人の呼びかけが入り、いまのは夢だったのか、という場面になるのです。

「物語はスケールが大きく、神聖に感じました。興味を惹かれたのは小道具。ヨーロッパの演劇では、小道具は最初から最後まで常に舞台上に置かれていますが、今回の能では小道具を舞台に運んできて、舞台上で組み立て、最後にまた舞台上で元の形に戻してから退場しました。それがとてもユニークでした」とスザンさん。

「“ドリーム・イン・ドリーム”のスピリチャアルなストーリーに興味を惹かれました。気になったのは宿の女主人。女性の役を男らしい体格の男性が演じている点にギャップを感じました(笑)」と、ここでも男女の役割が気になってしまうルカさんでした。

公演終了後

能楽は禅や瞑想にも通じる特別な体験

公演が終わり、会場を出てきたスザンさんとルカさんを中庭に誘い、公演全体の感想をお伺いしました。

スザンさん「以前に観た能は、鬼や天狗が主人公の演目だったので、今回、はじめて主人公が人間である『邯鄲』を鑑賞できたことは大きな収穫で、能楽の演目のバリエーションの広さに驚きました。また、イマジネーションを働かせながら楽しむ能楽には、禅や瞑想にも通じるものがあり、セルフメディケーションの効能もあるように感じました」

ルカさん「全然退屈しなかったし、観るほどに能に興味が湧き、もっと違うステージが観たいと思う自分がいました。能楽を観ていると夢と現実の境界線が曖昧になる、そんな気分に浸ることができる特別な体験を楽しめる。海外出身者でもはじめての人でも、それほど能楽の知識がなくても雰囲気自体を楽しめるし、事前に予習をして鑑賞に臨んだら、より深く貴重な体験になることでしょう」

今後も能楽を積極的に鑑賞していきたいとおっしゃるお二人、最後に次回はどんな演目をご覧になりたいかと尋ねると……

スザンさん「土蜘蛛の精が白い蜘蛛の糸を次々と投げつける『土蜘蛛』が観たいです。主人公が人間ではない非現実的な演目は、さらに自分を違う世界に連れていってくれるように感じるから。その点、能楽には、ドイツの寓話を連想されるものがあり、その点も興味深いですね」

ルカさん「翁を演じるオーソドックスな演目や、武人が主人公の修羅物に興味を惹かれます」

海外出身者が行く能楽鑑賞_記念写真
中庭のベンチで仲良く記念撮影

スザンさん、ルカさん、取材にご協力いただき、ありがとうございました!
海外出身のお二人ならではの、能楽の楽しみ方や捉え方、さらには不思議に感じた点や気になる点など率直な声は、海外の方はもとより、日本人でも能楽に興味はあるものの二の足を踏んでいる方たちの参考になったのではないでしょうか。
これを機会に、まだ能楽を生で体験されたことがない方は、ぜひ一度、能楽堂に足を運んでみてください。