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狂言の基礎知識

狂言は、中世の庶民の日常生活を明るく描いた、セリフが中心の喜劇です。能と異なり、ほとんどは面をつけずに演じられ、笑いを通して人間の普遍的なおかしさを描きだします。

狂言の笑い

狂言は笑いを通して人間を描く。狂言では登場人物の失敗を作品の中心にすることが多いが、失敗の原因は、欲心を持つ、見栄を張るなど、誰しもが思い当たる心持であり、結果も生死にかかわるような深刻なものではない。それゆえ失敗を笑うといっても、その笑いは大らかで朗らかなものである。
さらに役者の身体の動き自体から伝わる笑いもある。役者が謡や囃子に合わせて体を動かしたり、大きな演技をしたりすると、観客も気分が浮き浮きとしてくることがある。
しばしば、狂言には祝言の笑いがあると言われる。芸能の本質でもあるめでたい台詞や内容、あるいは浮きやかな動きなどが舞台で繰り広げられることで、めでたい雰囲気が観客にも伝わってくる。
とはいえ、狂言は笑いだけを描いているわけではない。夫婦の情愛などをしみじみと描いた情趣あふれる内容や、人間の隠れた本質を突くような作品もある。このような作品も成立時点では笑いの要素が強かったのだろうが、何世代にもわたる役者の工夫によって次第に洗練され、笑いもペーソスも細やかな心理も描き出すような演劇になったのである。

 

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代表的な役柄

狂言には様々な役柄が登場するが、通底するのは庶民性と豊かな感情表現という点であろう。

太郎冠者

多くの作品に登場する太郎冠者は、主人や大名に仕える使用人である。中世の現実の身分制度においては、主人の命令に逆らえない下人の立場にあった。しかし狂言に登場する太郎冠者は、ときには主人に逆らい、やりこめるようなしたたかさと機転を備えている一方で、詐欺師に騙されたり、酒好きが高じて失敗をしたりするような面も持っている。作品によってどんな面が強調されるかは様々だが、どの太郎冠者にも共通するのは、無邪気に喜怒哀楽を見せる、にくめない明るい性格であり、それゆえ狂言を代表する登場人物となっている。 

大名

狂言の大名は江戸時代の藩主にあたる存在ではなく、中世の地方の小さな領主である。尊大な威張った態度をとる一方で、涙もろく世間知らずの面もあり、失敗をして恥をかくこともある。それでもやはり大名であるので、大らかさや骨太の演技が求められる役といえる。 

狂言に登場する女性は生活力にあふれ行動力のある役柄が多い。夫を思うあまりに嫉妬や怒りを露にすることもあり、狂言の女性は「わわしい女」と評される。

山伏や僧侶

宗教者が登場する作品には、彼らを風刺の対象にして笑い飛ばすものがある。

中世・近世初期に僧侶は教養と知識があると見なされ、敬われる存在であった。一転、狂言では、経を知らない、布施に執着する僧が登場し、無知や欲深さゆえに失敗をしてしまう。

人知を超えた修験の力があるとされた山伏も、自分の験力を誇るものの、その力が役に立たなかったり、逆に力を制御できなかったりという結果になる。

すっぱ

すっぱとは詐欺師のことであり、その騙しの内容が作品の中心となっていく。狂言には珍しく悪人ではあるが、それでも徹底した悪人ではなく、もちろん残忍性などもない。あくまでも言葉を巧みに操って人をたばかるのである。ずるさや調子の良さといった面も、また人間の一面を表しているといえよう。

人間ではないもの

狂言の神は福神や七福神など現世利益的な願いを叶える存在で、人間から遠い存在ではない。鬼や雷も人間を威嚇し、恐ろしさはあるが、人間と同じように泣き笑う存在として描かれている。

ほかにもキノコや蚊・蟹の精などといった、人間に身近な生き物が登場する。小さく、か弱いと思われていたものが、それぞれの能力を発揮して人間を圧倒する筋が多く、そこに驚きと面白さが生まれる。

演技の特徴

狂言の中心は会話であり、台詞が重要となるため客席の隅々までとおる声が求められる。狂言ならではのアクセントによって台詞が発せられ、役柄によって声のトーンは工夫されるが、女の役だからといって声色を作るようなことはない。物語を語って聞かせる語りが見どころとなる作品も多く、抑揚や緩急といった語りの技術も必要となる。

動きには基本の姿勢(カマエ)と歩き方(ハコビ)がある。腰を少し後ろへ引いて反らせ、膝と足首をやや曲げた姿勢で、腰の位置を変えずにすり足をする。このような基本の上に笑う・泣く・拝む・酒を汲み飲む・舟を漕ぐなどの写実的な「型」が付け加えられる。狂言の動きは観客が見て何をしているかすぐにわかるものであり、現実の動作よりも大きく誇張され、擬音語を伴って演じられることが多い。

喜劇である狂言は現実生活よりも大きな動作をするが、笑いをとりに行くようなあざとい演技はしない。発声やカマエ・ハコビ・型などの基本的な要素の上に、役者個人が作品や人物像を解釈し、間(ま)や動きの調節をして演じていく。

歌舞の要素も重要である。酒宴の場面では小舞が舞われ、能のように抽象的な型をつなげて舞う。中世の流行歌である小歌や平家節などの謡が趣向の中心となる作品もある。

間狂言

狂言役者は能の中にも一役として登場し、その場合はアイまたは間狂言と呼ばれる。多くの能では、前シテが中入り(一旦舞台から退場すること)をして、後半に後シテとして再登場するまでの間、アイの演技が中心となる。ワキである僧の前にアイの土地の男が現れ、前シテが語った内容を再度語り、僧に供養を勧め立ち去る。能のシテである幽霊や精霊は昔に思いを残して過去の視点で語るが、土地の男という今を生きるアイの役は、現在の視点で昔物語を相対化して語る。そして後半、再び舞台は後シテによる過去の物語の再現へと変わってゆく。このように現在と過去を行き来する能においては、アイには能の曲趣に合わせた語りの技術が求められる。

また前半と後半の間だけでなく、一曲を通してアイが活躍する作品もある。アイは船頭・寺男・山伏の召使などに扮し、シテやワキなどと台詞を交わして筋を展開させていく。シテやワキなどが荷いきれないような滑稽さや人間味を醸し出す役割を負っているといえる。 

狂言面

能と同様に狂言でも鬼・神・動物・精霊などに扮する際には面をかける。狂言面は能面と比べると、親しみやすい表情をしている。

例えば鬼に用いる「武悪」という面がある。目じりの下がった、はれぼったい瞼に覆われた大きな眼や、むき出した歯などの「武悪」の造形からは、全体的にユーモラスな印象を受ける。人間らしい行動や思考をする鬼にふさわしい面といえる。

女の役は基本的に面を用いず、素顔のままで演じる。上記に述べたような「わわしい女」は、装束の小袖に、ビナンと呼ばれる長く白い布を頭に巻いた姿をする。

ただし「乙」という女の面を使うこともある。乙は低い鼻、しもぶくれの頬といった特徴があり、愛嬌や可愛らしさを感じさせる。乙の使用は限定的であって、「わわしい女」のように他の役と向き合い、会話を重ねていく役には使われない。女の顔を見た男がその容貌に驚くといった趣向の作品の女や、茸や鬼の女の子などに、乙は用いられる。台詞自体がそれほど多くなく、存在そのものに重きが置かれる特徴がある。 

登髭
登髭
末社の神などに用いる。
江戸時代。
国立能楽堂蔵。
武悪
武悪
鬼に用いる。
江戸時代。
国立能楽堂蔵。

装束

装束の柄や模様は斬新なものが多く、例えば太郎冠者が着る肩衣の背には、鬼瓦や蕪、瓢箪など大胆で印象的な図案が染められている(写真 肩衣のイセエビ)。肩衣の下に着る縞熨斗目や狂言袴などの装束との組み合わせによって、太郎冠者の明るさを引き立ている。

大名、主人、女、僧、山伏などは、装束と小道具などによって、その役が何者であるかわかるものが多い(写真 素襖)。動物でも狐や猿、狸の役は、写実的な面とモンパといった着ぐるみによって、その動物であることが一目瞭然である。一方で馬や茸、蚊などは、そのものの姿を真似て扮するのではなく、面や装束、頭や小道具などで、それらしさを表現する。

能では役者は白足袋を用いるが、狂言では淡い金茶色・黄色の足袋をはく。家によっては細い縞が入っている。

イセエビ
肩衣
図柄はイセエビ。
江戸時代。18世紀。
メトロポリタン美術館蔵 (Mrs. Jackson Burke Gift, 1981)
素襖
素襖
図柄は蓮。大名の役などに用いる。
江戸時代。19世紀初め。
メトロポリタン美術館蔵(Mrs. Roger G. Gerry Gift, 1997)
中司由起子