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能の面

主人公を演じるシテ方の能楽師は、多くの場合、能面をつけることでその役柄に扮する。例外は、生きている男性の役柄でこれは能面を用いない。素顔で演じることを「直面(ひためん)」と呼ぶ。仮面劇である能にとって、能面は最も重要な道具だ。それと同時に、能面は極端に視野が狭まるという制約を生む。演者にとっても、能面を生かし十分に扱いこなせる身体を獲得することが必須となる。

能面の造形は、強いインパクトがあり人の印象に残る。能についてよく知らなくとも、能面には何かしらのイメージを持っているという人もいるだろう。

代表的な能面「小面」は、特定の演目に限定されず、若い女性の役柄を演じるときに広く用いられる。その表情は、微笑むようでもあり、また悲しげでもあり、見る人によって変わる曖昧さがある。演者が面をつけ、舞台上で役を演じ動けば、ほんの少し面の角度を上げ下げするだけで、晴れやかに見えたり、沈んで見えたりと、豊かな表情が現れる。主人公の感情を生き生きと伝えてくれるので、そうした舞台を観れば、「無表情」を「能面のような」と譬えるのはまったくの誤用だと気づくだろう。舞台上の効果を計算して、あえて喜怒哀楽のどれかに寄せていない「小面」のような造形を「中間表情」と呼ぶ。物語の中で変化していく主人公の心情を、一種類の面で表現するための工夫である。

だが、すべての能面が「中間表情」かというとそうではなく、「瞬間表情」と呼ばれる対照的な造形もある。鬼神や天狗・霊獣など、人間ではない超越したキャラクターに用いられる能面で、激しさを切り取っている。こうした役柄は、演目の後半に登場することが多い。短いシーンであっても、演技とあいまって深い印象を残す。力強く激しい造形が特徴となっている。

また、汎用性の高い面が多い一方で、ひとつの演目だけに使用される専用面もある。例えば、赤い彩色が施され、笑みを浮かべた酒好きの中国の妖精「猩々」や、ぼさぼさの眉と、嵌め込まれた金輪の眼が鋭い、山に棲む鬼女「山姥」などがある。

こうしたさまざまな能面は、どのようにして現在のようなスタイルになってきたのだろうか。能面の中で、最も古くから存在していたのは「翁面」だ。能のルーツである猿楽の重要な演目〈翁〉で、鎌倉時代から用いられていた。現在の能でも〈翁〉は重要な演目で、劇というより祝祷の舞の雰囲気を持ち、老神が登場して国土安穏を祝う内容である。素顔のまま演者が舞台へ出て、能面をつけるところを見せるのも〈翁〉だけであり、切り離した顎を紐で結び付けるなど、他の能面にはない特徴がある。

翁面のほか、世阿弥の生前すでに、少なくとも鬼神面・尉面・男面・女面の四種があったことが世阿弥の伝書から確認できる。そこには十一人の面打ち師の名と、彼らが得意とした面の種類が挙げられている。また、父の観阿弥から受け継いだ「重代の面」や、「名誉の面」という言葉も見えることから、使い捨てではなく能面を大切に伝えていく姿勢も窺える。

能は、さまざまな形で能を愛好し、庇護した時の権力者たちによって支えられてきた。彼らは能の家の伝来面を、鑑賞のためや、自分で演じるために揃えようとしたようだ。たとえば、能好きで著名な豊臣秀吉は、観世家・金春家に伝来する名物面の複製を命じたことが知られている。この「複製」ということが、能面の典型・類型ができてくる上で、とても重要な要素だった。「写し」と呼ばれる複製の面は、もとの名物面「本面」をそっくりそのまま写し取ることが求められた。「本面」にある傷や汚れまでもすべてである。何度も、いくつも、優れた面の忠実な「写し」を作り続けたその蓄積によって、各能面の理想や類型ができあがり、現在にまで守られ、つながってきたのである。

白色尉(白式尉)

白色尉

〈翁〉の専用面。老体の神。国の安寧と繁栄を言祝ぎ、舞う。ふさふさの眉や長い顎鬚、切り離した顎を紐で結び付けた造形が特徴。

小尉

小尉

老夫の面。神が化現した老夫の役に使用され、他の尉面と比べて上品な印象。

中将

中将

貴人や源平の公達の霊の役に用いる。八の字に寄る眉間の皺が特徴的。

小面

小面

若い美女の面。女体の精・女神・天人の役にも広く用いられる。

般若

般若

鬼女の面。嫉妬・怒り・悲しみの激情にかられ、鬼となった女性の役に用いる。

痩女

痩女

地獄に堕ちた女性の霊の役に用いる。妄執に囚われ苦しむ様子が、こけた頬や落ちくぼんだ目元で表現されている。

小べしみ

小べしみ古元休

鬼の役に用いる。名称となっている「へ」の字に曲げてつむんだ圧(へ)口(ぐち)が特徴。

獅子口

獅子口

〈石橋〉の獅子の役に用いる。鋭い目元と牙が目を引く。

猩々

猩々

〈猩々〉の専用面。朱紅色の長い毛で、人間のような顔を持つ、酒好きの中国の妖精。

深澤希望