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曲目解説「船弁慶(船辨慶)」

船弁慶(金春流以外では船辨慶と表記します)は、義経記に出てくる「義経都落ちの事」や平家物語を典拠とし、おなじみの判官源義経や武蔵坊弁慶、静御前などが登場するわかりやすい能で、弁慶の語りを中心に物語は進んでいきます。 前半は、静御前と義経の悲しい別れが描かれますが、後半では一転、平知盛の怨霊が義経一行に襲いかかるという劇的な場面で構成され、その変化に富んだ展開から、五本の指に入る人気曲に挙げられています。
シテ方は、前半では優美な舞を舞う美しい静御前、後半では長刀を振るう荒々しい知盛の怨霊という、まったく異なった役柄を演じ分け、それとともに謡・囃子の強弱、緩急もまったく異なったものとなっているのが特徴です。

また、子方(子役)が演じる義経、前半・後半とも重要な役目を演じる弁慶、荒れ狂う海と奮闘する船頭などの登場人物も魅力的です。

船弁慶 相関図

  • 登場人物名は檜書店発行の謡本「船弁慶」(観世流)を基にしています。

舞台は前半と後半に分かれ、物語は弁慶を通して展開します。

前場

前半は、判官源義経(子方)が平家討伐後、兄・頼朝と不仲となり、武蔵坊弁慶(ワキ)と従者(ワキツレ)とともに、都(現在の京都)を出て西国に落ちるところからはじまります。

一行は、摂津国・大物の浦(現在の兵庫県尼崎市にあった、淀川の旧河口の港)に着き、弁慶は、船頭に一夜の宿と西国へ下るための船の用意を頼みます。

宿で、弁慶は、これまで同道してきた静御前(前シテ・前場の主役)について、困難な道のりをこれ以上進むことは難しいので都へ帰すように義経に進言します。

義経が「弁慶に任せる」と答えたので、弁慶は静御前の宿に向かい、その旨を伝えます。すると、静御前は「弁慶が独断で決めたことに違いない」と言い、直接返事をしようと義経のもとに向かいます。しかし、義経からも「都に帰って時節を待て」と命じられた静御前は弁慶への非礼を詫びると、愛する義経との別れを悲しみ、再び会える日が来ることを願うのでした。

静御前の曲舞(くせまい)〜会稽山の故事を謡う

義経は、静御前との別れの酒宴を催します。義経は弁慶に命じて静御前に酒をすすめ、静御前は、義経一行の旅の前途を祈念し、烏帽子をつけて白拍子の姿で舞を舞いはじめます。これが、扇を持ち、囃子方に合わせつつ謡う曲舞のはじまりです。

静御前は、会稽山の故事(中国の春秋戦国時代の陶朱公と越王・匂践との古事)を謡いながら舞います。

「昔、中国越の王・勾践が仇敵を倒してふたたび天下を取り、会稽山での恥辱をそそぐことができたのも、賢臣・陶朱公の功績によるものです。しかし、陶朱公は名声・富・身分を望むことなく、その後は俗世を離れて自然に親しむ生活を選んだのでした。このような例もあるのですから、わが君(義経)も自分にはなんの罪もないことを訴えれば、きっと兄上(頼朝)も最後にはわかってくださることでしょう」

静御前の中之舞(ちゅうのまい)〜清水観音が詠んだ歌を謡う

静御前は、白拍子の後半として、愛する義経の前途を祈り、門出の中之舞(静かな舞と早い舞の中間くらいの舞)とともに、新古今和歌集にある清水観音が読んだとされる歌を謡います。

「心短き衆生よ、私が今世にいる限りは、私に救いを求めなさい。この尊い歌に偽りがなければ、わが君(義経)も、いずれまた世に出られることがあるでしょう」

やがて舞も終盤にさしかかり、別れの時がやってきました。

義経一行を乗せるために用意された船はとも綱を解き、旅立っていく一行を見届けた静御前は、鳥帽子を脱ぎ捨てて、涙にむせびながら別れを告げます。

間狂言〜船頭(アイ)の登場

舞台ではここで間狂言(あいきょうげん)が入ります。通常の間狂言は、前場(前半)と後場(後半)の間に、狂言方がそれまでの物語の振り返りや背景を解説しますが、船弁慶の間狂言は、アシライ間(あい)といい、狂言方がシテやワキと同じように登場人物として重要な役柄を演じます。これが、本記事冒頭の登場人物相関図には掲載していませんが船頭(アイ)です。

船の用意をしていた船頭が登場し、義経と静御前の別れの様子を見てもらい泣きをしたと語ります。弁慶も涙を流したと応じ、船が用意できているかと問うと、船頭は、船足の速い船を用意したと答えます。そこへ義経の従者が来て、波風が荒れているので出発を延期して逗留したいと義経が言っていると伝えます。しかし、義経は静御前への未練から逗留するつもりだと推量した弁慶は、すぐにでも船を出すように船頭に命じます。

ここで、船頭は、舟のかたちをした作り物(舞台に置かれる簡略化された道具)を持って出てくると、義経一行に船に乗るように促し、「えーい、えーい」という掛け声とともに船を漕ぎ出します。そのうちに、海は荒れ模様になってきました。

後場

武庫山(現在の六甲山)から風が吹き降り、船が陸に着けそうもないので、従者がこの船には怨霊が取り憑いているのではないかと心配します。そんな不吉なことは言うものではないという弁慶と船頭とのやりとりの間にも、波はますます高くなります。船頭は波風と格闘しつつ懸命に船を漕ぎます。

この船を漕ぎ出して、 天候が変化していく様子は、船頭一人の演技で表現され、大鼓と小鼓が、波が激しく荒れ狂う様子を演奏します。

後シテ平知盛の霊登場

弁慶が「あら不思議や海上を見れば、西国に滅びし平家の一門」と声をあげると、壇ノ浦で滅んだ平家一門の亡霊が海上に現れます。

義経は「今さら驚くことではなかろう。たとえ怨霊が恨みを晴らそうとしても、いったいそれが何だというのか。悪業を積み重ね、天明によって滅亡した平家一門ではないか」と冷静に言い放ちます。

安徳天皇を中心に、勢揃いした平家一門の亡霊たちが波の上に見えます。

ここで、長刀をかたげた平知盛の怨霊(後シテ・後場の主役)が橋懸(はしがかり)から登場します。

平知盛の怨霊の舞働(まいばたらき)

知盛の怨霊は、義経を海に沈めてやろうと、激しく襲いかかってきます。

ここで、知盛の怨霊は、激しく急テンポでリズミカルな囃子方の演奏に合わせて、長刀を振るう荒々しい舞働という所作を行います。

これに義経は少しも動揺せず、太刀を抜いて怨霊と戦いますが、弁慶は「怨霊に対して太刀で戦っても叶わないだろう」と言い、数珠を揉んで経文を唱えます。こうして祈り続けると、怨霊は次第に遠ざかっていきますが、なおも追いすがってきます。それを弁慶が追い払い、祈り退けると、ついに知盛の怨霊は引き潮に引かれて流れ去り、あとにはただ白波が残るだけでした。

知盛の怨霊は舞台から去り、曲が終わります。

船弁慶の見どころ・魅力

船弁慶 舞台写真

船弁慶は、世阿弥の甥にあたる音阿弥の第七子・観世小次郎信光が作った曲で、前場と後場でシテの演じる役柄がまったく異なり、優美さと勇壮さの対照が際立つ劇的な構成が大きな魅力です。

また、後場の大海原のシーンでは、舞台上には作り物の舟があるだけなのに、船頭の船を漕ぐ棹さばきや、嵐が始まってからの囃子方の激しい演奏により、本当に荒れ狂う海が見えるかのような演出がなされている点も見どころの一つです。

この記事では主にあらすじの紹介となっていますが、これらは実際に能を鑑賞いただくことでより、その魅力を感じていただけます。ぜひ、能楽公演に足を運んでみてはいかがでしょうか。