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能楽の今と昔、そして未来

テーマ別対談【前編】
大倉源次郎(小鼓方大倉流十六世宗家)× 金井雄資(シテ方宝生流)

大倉源次郎(小鼓方大倉流十六世宗家)×金井雄資(シテ方宝生流)

能楽師をはじめ、能楽に関わる方々にご登場いただき、あるテーマを設けて大いに語り合っていただくことで能楽の魅力を深掘りしていこうという企画。
今回は、小鼓方大倉流十六世宗家で人間国宝の大倉源次郎さんと、シテ方宝生流の金井雄資さんによる対談をお届けします。

前編では、「能楽の今と昔、そして未来」をテーマに、同世代で初舞台を踏まれたのもほぼ同じ時期、同時代を能楽とともに駆け抜けてきたお二人に能楽を時間軸で捉えていただき、能楽の現状から、昔の修業時代のこと、そして未来への期待などを語り合っていただきます。

プロフィール

能楽協会_大倉源次郎

大倉源次郎(おおくら・げんじろう)

1957年、大倉流十五世宗家大倉長十郎の次男として大阪に生まれる。1964年、7歳で「鮎之段」の独鼓で初舞台。1985年、大倉流小鼓方十六世宗家を継承。2017年、59歳の若さで人間国宝に。
海外公演にも数多く参加。能楽協会理事。

能楽協会_金井雄資

金井雄資(かない・ゆうすけ)

1959年、シテ方宝生流の金井章の長男として東京に生まれる。1965年、6歳で「鞍馬天狗」花見で初舞台。1978年「禅師曽我」で初シテ。
重要無形文化財保持者(総合認定)。能楽協会理事。

厳しい時代を迎えている能楽の今

―お二人は、今年7〜8月の10日間、コロナ禍の中で能楽界をあげて開催された「能楽公演2020〜新型コロナウイルス終息祈願〜」に出演され、成功裏に終えられましたが、2020年現在の能楽については、どう思われていますか?

大倉: 今年のコロナが流行り出した3月の1ヶ月の間に、全国の能楽公演数は約120公演ありました。が、そのうちの3分の1は行政主催で、残り3分の2は能楽師自身が主催したもので、プロモーター主催の公演はごく少数でした。
これが能楽界の現状を物語っています。能楽を後世に残したいと努力しているのは、主に行政と能楽師自身ということで、能楽の社会の中での立ち位置は非常に厳しい現実があります。

そういった現状を打開しようと、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に合わせて予定されていたのが「東京2020オリンピック・パラリンピック能楽祭」で、能楽界が総力をあげて能楽の存在感を示そうとしたわけです。
ところが、コロナでオリンピック自体が延期となり、能楽祭も開催の是非が問われる事態になってしまった。しかし、能楽の現状を考えれば、これはもう絶対に開催しなくてはならないと「能楽公演2020〜新型コロナウイルス終息祈願〜」として開催に踏み切りました。
おかげさまで、一人の感染者もなく無事に終えることができましたが、この公演を通して、能楽という素晴らしい伝統芸能文化を日本中に、そして世界中に伝えていくのが私たちの役目であることをあらためて再認識した次第です。

ishibashi
「石橋」大倉源次郎 能楽公演2020〜新型コロナウイルス終息祈願〜

金井: 今回の公演は、オリンピックで来日される外国人の方々に能楽を紹介することが主な目的でしたが、同時に日本人の皆様にも能楽の素晴らしさを再認識していただきたいという気持ちが強くありました。
ですから、公演を開催することができて、本当によかった。源次郎さんのおっしゃる通り、能楽を取り巻く環境は、我々の修業時代から比べると、非常に厳しい時代を迎えていることを痛感しています。
若い能楽師たちから口を衝いて出てくるのは「普及・啓蒙」という言葉で、我々が若いときはそんな心配はまったく不要で、修業だけに専念できた時代でした。

昔は、能楽の面白さを知っている人がたくさんいた!

―修業時代のお話しが出ましたが、昔の能楽は、今とどのような違いがありましたか?

大倉:青年時代は目先の舞台への忙しさで、普及などと考えている暇がありませんでした。
ただ、その頃はちょうどテニスやサッカーが流行り始めた時期で、それらに興じていた周りからは、「能なんかやっていて大丈夫か?」と心配されました。
そのたびに、私は友人たちの言い方を逆手にとって「能なんか症(脳軟化症)」なんて揶揄したものです(笑)。

昔は、大手企業に福利厚生による謡曲部があり、社員の方たちが大勢所属して、能楽の全国大会なども開催されていました。いまでいうダンスサークル部のようなものですね。部員の皆さんは当然、装束を身につけて舞いたいから装束を発注する、道具類も購入する。
そうしたことが能楽文化の下支えになっていたんです。

金井:財界人の方々もスポンサー的な立場で能楽を支援してくださっていましたし、素人のお弟子さんの中にも、能楽を習いながらバックアップしてくださる方がいましたね。
また、学校の教科書にも能や狂言が掲載されていますが、現代では能楽を教えられる教師がいないから、授業で取り上げることができないという問題もあります。

金井理事写真1(翁 千歳 20歳頃)
「翁」金井雄資 20歳
金井理事写真2(放火僧 50歳頃)
「放下僧」金井雄資 50歳

大倉:戦後の日本が西洋文明社会の物質的な豊かさを求めて近代化を進めてきた過程で、伝統文化は置き去りにされてしまい、いまふと足元を見ると、能楽、茶道、華道などの中に伝統文化の断片が残っているというのが現状のように思えます。
私が子どもの頃は、能楽の面白さを知っている人がたくさんいましたが、今は少なくなり、能楽の面白さを伝えられる人も数少なくなっています。
最近は、SDGs(エスディージーズ=持続可能な開発目標)やダイバーシティ(多様性)という言葉が盛んに言われますが、それらのモデルは実は江戸の日本なんです。
ヨーロッパから来日したシーボルトたちは、江戸末期の日本で芸術が生活文化に溶け込んでいることに感動して日本文化を学んで帰国していきました。
シーボルト博物館には、能楽の道具など、江戸の素晴らしい工芸品がたくさん並んでいます。当時のヨーロッパの人たちの憧れが江戸であり、それが後のマイスター制度などにもつながっていきました。
能楽を含め、江戸文化には今の日本人が学ぶべきものがたくさんあると感じています。

未来は、人々の生活に寄り添い、心を癒やす存在へ

―能楽の今と昔を踏まえて、能楽の未来についてはどのようなイメージを持たれていますか?

能楽協会_大倉源次郎

大倉:芸術の旧字体の「藝」には「植物を植える、作物が育つ」という意味がありますが、自然界における芸術の最たるものは「草木・花・実」であり、それを食した人間が育ってまた新たな芸術を創り出して育てていくから「藝」なんですね。
今後も、「藝術」を生み出せるような社会をつくっていくことが大事で、その中に能楽を残していくことが私たちの役目です。
今の無国籍化した日本社会で、能楽を生活文化の中に取り戻していくことは並大抵の努力ではできません。
しかし、ウィズコロナ時代となり、「開疎化(開放=open)×疎=sparse)」がトレンドとなり、ゆとりのある空間や暮らしに目が向けられるようになった今は、ある意味、チャンスでもあると感じています。
都市開発を手掛けている方の話では、都市の20〜30%を数寄屋橋建築でグランドデザインするような構想もあるようですから、それと同じように、能楽のある生活文化も官民一緒にプロデュースしていけたらと願っています。

 

能楽協会_金井祐介

金井:ヨーロッパには古い街並みがそのままたくさん残っています。日本にも、長野の小布施など、景観を損なわない様制限をかけている街があります。昔の姿を保つには住民のたいへんな努力が必要ですが、それが観光地としての成功にもつながっています。
今ここで少し時代を戻して、古い街並みを愛でるような暮らしをしてみたら、豊かな感性が育まれ、能楽などの伝統文化にも再び目が向けられるようになるのではないでしょうか。

コロナ時代になって、いちばん最初に思い出したのが東日本大震災の避難所でのエピソードでした。避難からひと月経った頃だそうですが、罹災した方が空き瓶に一輪の花を挿し、ラジオ局が被災から初めて音楽を流したところ、それがたいへんな心の薬になったというんですね。
これこそが文化なんです。能楽も、人々の生活に寄り添い、皆様の心を癒やしていけるような存在となっていけたらと願っています。

 

大倉:最近は、コロナの影響で、能楽のインターネット動画配信を積極的に行っていますが、能楽堂に足を運んで本物の能楽を見たいと思っていただけるような配信を心がけています。
たとえば、稽古風景の動画なども発信していますが、これが実際の舞台ではどうなるんだろうというように興味を持っていただけたらと思っています。

金井:これからの時代は、動画配信など能楽のデジタルコンテンツも増えていくことと思いますが、やはり、能楽堂に足を運んでいただき、生の舞台を肌で感じていただきたい。
そのために、我々は本物の芸をご覧に入れるための努力をし、常に最高の舞台をつくっていくことはもちろんですが、同時に能楽堂に来ていただくきっかけをどう用意するかが課題です。
「気軽に映画を見るような気持ちで能楽堂にお越しください。能楽は決して難解なものではありません」
というアプローチもありますが、たとえば「能楽は人生を楽しくする」とか、能楽はスピリチュアルなものでもあるので「神社仏閣にお参りするような感覚で能楽に触れる」など、様々な入り口を模索して用意していく必要があると考えています。

大倉源次郎(小鼓方大倉流十六世宗家)×金井雄資(シテ方宝生流)
能楽の未来について語るお二人

後編は、「能楽よもやま話」と題して、能楽ファンも興味津々の楽屋の様子など能楽の舞台裏から、能楽を習うことの楽しさ、能楽鑑賞のポイントなどについて語っていただきます。